空(そら)に行く
私の自転車には名前がついており、スカイライン号と言う。既にこのコラムでも言及したように、私は運転免許をもっているが、今のところ車には乗らない。
「空に行く」という文句を耳にしたのは、郡上へ引っ越してから間もない頃だったと思う。印象深い表現であったから、何となく頭に残っている。山仕事の先輩が、仕事場へ登ることを当たり前のように言ったのである。その時は、何となく意味が分かったような気がして、問い返すこともしなかった。
山に入るとなると、朝一番の登りがきつい。だがこれにも慣れてきた頃には、それなりに気持よく仕事ができたと思う。とは言っても、疲労がたまると、どうしてもサボリ心が出てくる。朝起きるにも気合を入れる必要があり、ひどい雨など天候不良で休みになると一安心したものだ。
さて朝一の登りについてだが、「空に行く」という句を思い浮かべながら、何度も繰り返すうちに、いつしか心が透くような気分になってきたことを憶えている。体力もそれなりにつき、道具にも慣れた頃、「空に行く」のがまさに空へ行くような気分になったこともある。
空は、無論、上にある。だが、上にしかない訳でもない。よく考えてみれば、身の回りもまさしく空である。私は海の近くで育ったから、水平線のかなたで海と空が境界をなす景色を普段見ており、空が自分の目線より下にある感覚もどこかに残っている。私の原風景では、空は高いというより、大きく広いと言うべきか。
屋根の上で箒を振って星を掃除する笑い話があるが、私も同じようなものかも知れず、笑えないのである。とにかく、空の高さを、山に登ってしか実感できない私であった。