二進法

世はデジタルの時代である。アナログ世代の私としては戸惑うことも多いが、このコラムもネットに載せられている以上、知らん振りも決められない。
今更、数学の話をしたくもない人が多いと思う。私もその一人で、かつ初心者であるから、少し気合を入れてみなければならない。
コンピューターで使われている二進法は、YESとNOの二通りで構成されていると考えてよいだろう。一時ファジーというのが流行ったが、今どうなっているのか知らない。
数学アレルギーを取るために、簡単なもので例証してみよう。例えば十進法の5は、2で割ると、商が2で余りは1である。そして商の2をまた2で割ると、商は1で余りはない。更に、商の1を2で割ると、商はなく余りが1になる。
このようにして、十進法の5は、二進法で後ろから101と表せる。ここで、二進法で表した101の1と0は、余りがあるかないかの違いに過ぎないことに気づく。つまり1は余りがあることを、0は余りが無いことを示している。
二進法は、この様に、どんどん割る基準が2である。五進法はその基準が5で、十進法は10ということになる。
してみると、我々が日常使っている十進法でもまったく同じことが言える。普段目にする数字は余りに過ぎないのである。これは、なにも数学に限らない。私は目の前にある現実を全てこの余りであると考えている。今は過去の蓄積であるとも言えるが、整合性が陰に隠れ、余りの部分が目に見えるだけなのではあるまいか。この余りが実感や個性の裏打ちになっている事については又の機会に。

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