墓の話

日頃中高年と話すことが多いからか、墓の話がよく出る。しかし、私には若い時から気になるテーマであった。
私は末っ子で家の後継ぎではないし、もう親もいない。流れ流れて郡上で暮らしているが、古くからここに住んでいる人にとっては「どこの馬の骨」だか分からない人間である。
散歩で古い寺などを回る時に、墓地を通ることがある。仏が増える度に名前を並べているらしい旧家の墓、これを先祖代々の墓としてまとめたもの、「何々家の墓」など分家らしきものなど千差万別だ。私の見る墓地はほとんど全て石を彫ったものが並んでおり、みな立派に見える。
墓はこれを祀る人のいることが前提だろう。既に骨を入れてもらえる場所のある人はそれでよい。無縁になって放置された墓を見るとなんだかうら寂しい。これに対し、綺麗に掃除され花を手向けてあるような墓は祖先が生きているように感じる。これらを見ると、代々家系が続くのも悪くない。
私にも子供がいるにはいるが、例え墓を作っても、彼等に墓守の負担をかけたくないというのが本音である。好き勝手に生きただけであるから、この世に生きた痕跡の残らない方が自然で寧ろ気が休まる。私の場合、選択肢はいくつかある。
1 地上権つきの墓地を買い、卒塔婆でも立てておく。無縁になった時点で、直ちに性根を抜いてもらいお返しする。候補になっている所は維持費が年二千円である。
2 墓をつくらず、ほんの少し骨を拾ってもらい、船から海へ捨てる。
3 見晴らしのよい山上のどこかに埋め、後で誰にも分からないようにする。
4 永代経を頼んで、どこかの寺に預かってもらう。
5 残った者の意思に任せる。
迷いに迷っている。今のところ無縁の墓に魅力を感じているが、残った者に任せるのが筋かもしれない。

前の記事

久しぶりの海

次の記事

人並みの愛情