大矢田神社(1)

今年の正月三日に、ほんの偶然に美濃市の大矢田(オヤダ)神社に初詣できた。同社は郡上辺りでも紅葉で有名であり、いつか訪ねてみたいと思っていた。道中が面白かったので、これがその大矢田神社であると実感できたのは神社には珍しい門をくぐった時であった。
養老二年(712年)泰澄大師がこの地を訪れ、天王山禅定寺を開基したといわれており、門はこの禅定寺の痕跡だったのである。
中世史料を見たわけでないし、この神社については全くの白紙だが、泰澄が創建したという伝承があり相当の歴史を経ていることは間違いあるまい。また、この伝承に矛盾する史料があるとも思えない。
私は泰澄が実在したと考えており、すでに白山奥院のシリーズなどでいくらか彼の人となりに迫ってきた。だからと言って、ここに禅定寺を建てたことの証明にはならない。
そこで祭神の方から、その信憑性を確かめてみたい。
大矢田神社の祭神はスサノオ命、天若日子(アメノワカヒコ)命、阿遲志貴高日子根(アジシキタカヒコネ)命の三神である。社内を回るうちに、私の頭の中で天若日子命を祀っていることが重大に思えてきた。
まだ完結していないものの「八俣の大蛇」シリーズで、『古事記』がスサノオ命に大蛇を退治させ第二の国譲りを演出する点を示したいと考えていたから、この三神が併祀されているのが驚きであった。
『古事記』の国譲りの前段に天若日子神、アジシキタカヒコネ神が登場することは、知っておられる方もいると思う。天菩比(ほひ)神をやってうまくいかなったので、高御産命と天照大神は再度天若日子に、「天之麻迦古弓(まかこゆみ)」と「天之波波矢(ははや)」を与え、国神が君臨する地上にやる。天若日子は大国主の子でアジシキタカヒコネ命の妹である下照比賣を娶り、八年たっても復奏しなかったという例の話が浮かんできた。
ヒンココ祭りでスサノオ命の活躍は目覚しいが、天若日子でうまくいかなかった点を補うために新たに加えた気配がする。

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