『説文解字』入門(8)-鵜の話(結び)-
鵜飼は観光の資源であるばかりでなく、それ自身興味深い漁法であって、古代から続く歴史の遺産でもある。
既に、前回『古事記』に鵜飼の記事があることは言及した。「鵜」をペリカンでなく、「う」と理解したのは、鵜飼にも鵜にも関心のない者たちが『古事記』を編纂したことを示すのではないかと推測したのである。だが、ことはそう簡単でない。
『古事記』の序文によると、『帝紀』及び『本辞』が各氏で乱れているので、安萬呂という人が既に撰録されていた『皇日継』及び『先代旧辞』というものを稗田阿禮に誦ませて筆記したと書かれている。
『帝紀』は『皇日継』と同じ類のもので、また『本辞』も『旧辞』とほぼ同類と考えてよさそうだ。
『古事記』は安萬呂という人物一人が編纂したことになっており、彼が鵜飼について知っていたのかどうかわからない。お手本とした『皇日継』ないし『旧辞』ですでに誤っていたのを踏襲したのかもしれない。
安萬呂がどのような出自をもつのかは推測の域を出ないとしても、彼が校正できなかったことは確かである。彼が伝承された史料を「鵜呑み」にしたとすれば、お手本が誤っていたことになり、『皇日継』『旧辞』などが百済から亡命してきた者達など鵜飼が重要な漁法であることを知らない人によって編集された可能性が出てくるのではないか。
つまり、どの段階で誤っていたにしても、鵜飼を異文化だと考えている人達によって編集されていることは認められるように思える。
だが、今のところ私には「鵜飼」をこれ以上正面から取り上げる力量はないのであって、今回は『説文解字』という辞書を歴史史料に扱っている一例として挙げただけである。