人物画像鏡(7) -仮名の黎明-

これは画像鏡に記されている文字から、仮名の成立を考えてみようという試みである。百済の斯麻王が「日夲大王」にこの鏡を贈ったことを、仮名の面から傍証する意味もある。バックナンバーを開き、八俣の大蛇(7)及び人物画像鏡の(1)から(6)を読んで頂ければ、より楽しめると思う。
さて『百濟新撰』の記事によれば、「嶋」で生れたから「斯麻」と名づけたとあり、「斯麻」という諱は倭語による命名であって表記も仮名風だ。
確かに「斯(し)」「麻(ま)」は『古事記』の仮名である。従って、これを百済での仮借とするか、倭語ないし和語の仮名とするかの分かれ道であるが、私はこの鏡が百済で鋳られたとする立場から日本国の仮名とは考えていない。
画像鏡には「斯麻」のほか「意柴沙加宮」「今州利」などの固有名詞が記されている。今回はこのうち「意柴沙加宮」を取り上げてみよう。
「意-柴-沙-加-宮」では、「意(お)」「沙(さ)」「加(か)」がやはり『古事記』の仮名である。また、これらはそれぞれ万葉仮名でも使われており、仮名に展開したのは事実である。
だが「柴」は『古事記』では使われておらず、「斯」が「し」で使われており、「柴」も「し」で使っているとすれば、「斯」と「柴」がかぶっている。万葉仮名で「此」を音符とするものは「紫」の字形だ。
これは百済で「斯」「柴」につき、 [s]、[sh]、[tsh]または[s]の濃音などの頭子音か、または母音で区別していた可能性がある。
この画像鏡に記されている仮借が『古事記』の仮名へ発展したのであるから、少なくとも百済でこの用法が定着し、いわば百済で「仮名」に近い形になっていたことが想像される。

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