『説文』入門(38) -「台」と「臺」(下)-
『後漢書』東夷傳の倭條に「其大倭王居邪馬臺國」とあり、古来この「邪馬臺國」について議論されてきた。ここでその実在性や『魏志』倭人条に登場する「邪馬壹國」と比較しようというのではない。ただ一般に使われる「邪馬台國」という表記に疑問がある点を述べるのみである。
既に述べてきたように『説文』で「台」は「台 説也」だが、「樂也」「喜也」「悅也」などの義があり、「台 我也」「台 予也」では「我(われ)」であり、この他「台 養也」など多様な義を持つことを示した。音については、仮名音で「タイ」「イ」あたりが考えられた。
他方「臺」の字形は「至」「高」の会意字であり、「觀四方而高者也」の義で、音については『玉篇』『廣韻』から「タイ」あたりを抽象してきた。また幾つかの用例から、漢代に「臺」が一部で零落していたことを示し、魏晉代に至高の義が復活したと推定した。
確かに、『廣雅』「臺 輩也」(巻一上 釋詁・43)の王氏念孫疏證に「臺之言相等也 (中略) 曰三台 台與臺同義」とあり、「台」「臺」が「相等也」で同義になることがあるし、また『詩經』「黄耇台背」(大雅 行葦)の「音義」に「台 湯來反 徐又音臺」とあり、「台」「臺」を同音とみる場合がある。
これらから、字画の少ない「台」を通用させて「邪馬台國」とするのだろう。こんなことは目くじらを立てるほどの問題ではないという意見もあると思う。
だとしても、「台」「臺」が一般に通じるわけではないし、常に同音というわけでもない。『後漢書』で「臺」は、「臺隷」「蘭臺」など、官僚ないし官僚組織をあらわす用例が多い。フォントの関係でお見せできないが、『方言』『廣雅』などで人偏に「臺」とする字が「臺」と通用して「臣也」「匹也」「輩也」などの義となっている。この時点では、もはや「至高」の輝きを失っているのではないか。
また『説文』には女偏で「臺」を旁とする字が収録されており、「遲鈍也」の解で、必ずしも「臺」が至高の義のみでない。私は、あるいはこの字形が『後漢書』倭条の「國多女子 大人皆有四五妻」という記事に関連するかもしれないと考えている。「臺」を「台」としてしまえば、こういった情報が消えてしまうのである。
范曄が「邪馬臺國」と記す以上、まず後漢代に使われた「臺」の義で解さなければなるまい。国名に「邪」「馬」という恐らく俗なる字が使われていることから、「臺」もやはり用例に基づいて定義しなおす必要があるのではなかろうか。
字画が少ないからと言って列島の歴史で根幹の一つになる「邪馬臺國」を「邪馬台國」と略記するのは、私には、自縄自縛の行為にしか見えない。