私の幸福論 -物欲篇-

若いときから幸福などというものは考えたこともなかったし、今だってさほど興味もない。まあしかし、歳も歳であるから、一度ぐらいは考えてみてもいいだろう。こういった観点も時には面白いかもしれない。いつもなら言葉の定義から入りそうだが、これだけで終ってしまいそうなので、幾つか荒彫りするのみである。
人は生き物であるから、衣食住のみならず、金銭欲や性欲などから逃れられない。私にも欲はある。
確かに「衣食足りて礼節を知る」という側面は否定しがたい。弱い人間のことであるから、金だって、無いよりは有るに越したことはない。また特に若い時には、恋愛や性欲を制御することが難しく、そのつど悩まされてきた。
だが運よく私はこれらを求めて犯罪に走ることはなかったし、それぞれに真剣ではあっても、必死になるということはなかった。ちっとも金を貯めることはできなかったものの、食える程度には働いて借金はしなくて済んでいる。
まあ、これらは浮世の物欲とでも言えるだろう。ほどほどあれば、意識が他に向うこともできるので、精神の自由さは得られるかもしれない。これに対し、これらを余るほど持つことに幸福を感じる人もいるに違いない。このために精力を使い果たしているのであれば、欲には限度がないから、早晩空しくなってしまうのではなかろうか。
人並みに物欲を満たした人なら、今度は自分の姿形に目がいき、気に入らないところがあれば整形や化粧で美しく見せることに拘るかもしれない。これにしても人に美しく見られたいという欲が背景にあるだろう。
知識欲や名誉欲なども、幾らかは形而上の話のようで少しは高級に見えるが、囚われてしまえば物欲とさほど変わらない。
私の場合、健康でいることが幸福の条件だと考えたことはあった。だが、病気持ちであっても、豊かな人間関係を築いている人であれば、健康は問題にすらならないだろう。長生きだって、それ自身は、幸福とは関係がないようにみえる。
もし私に幸福の条件があるとすれば、自分が幸福であるか不幸であるかを考える暇もないほど、やれる限りやりかけの仕事をやり抜くことだろう。そして少しは愚かさを克服できれば十分である。途中で折れても悔いはない。