好太王碑文(10) -「潰新羅」-

これまで私は辛卯年条の欠字を、碑文中の用例である「潰破」「潰敗」の連語などから、「破百殘而潰新羅」とあてた。欠字を補うのであるから、慎重を期す必要がある。
今回は「潰新羅」とする傍証として、「潰」を異なる面からもう少し検討してみよう。
既に『説文』入門(35)で、「潰」は「潰 漏也」、段注の「凡民逃其上曰潰」も『廣韻』から根拠は確かであると述べた。また『釋名』は「敗 潰也」であり、『説文』が「賊 敗也」、『玉篇』が「潰 亂也」とするのと関連しそうな点を示してきた。
これらだけでも「潰新羅」の解釈が可能だろうが、もう少し意味の繋がりをはっきりさせるために、字形の似る「憒」と比べてみる。
『説文』はすばり「憒 亂也 从心 貴聲」(十篇下290)である。段氏は『詩經』大雅召旻の毛伝を引いて「潰潰 亂也」とし、「潰潰」が「憒憒」の仮借であると論じている。
『廣雅』でもやはり「憒 亂也」(巻三上釋詁・29)で、更に「憒憒 亂也」(巻六上釋訓・53)として重言も同訓である。王氏念孫は釋訓の疏證で、「憒 與潰通」と定義している。
ただ、この「通じている」という考え方は昔から怪しげなものが多く、混乱を招くことがある。そこで『玉篇』『廣韻』をみると、「潰 亂也」であり、一応「潰」「憒」が義に関して通じていると考えられそうだ。
これだけでは不安であるから、さらに音韻も確かめておく。
「潰」は『玉篇』『廣韻』共に「胡對切」であり、段氏は恐らく徐鉉説を採用してやはり「胡對切 十五部」としている。
他方「憒」は、『玉篇』が「公對切」、『廣韻』『集韻』が「古對切」である。声母に幅があるものの、段氏は「胡對切」を採用して「潰」「憒」を同音とみており、概ね同意できるだろう。
以上「潰」「憒」はほぼ同音で、かつ「亂也」の義を共有するから、互いに関連の深い語であることが分かる。これから、碑文の「潰」が「憒」を通じて「亂也」「敗也」の義であるとも解せることを示せたのでないか。
従って「潰新羅」でよければ、「倭が新羅を敗北させて、王制を乱し」と訳すこともできるだろう。無論これだけで欠字を「潰」で補うことが有力だとは言えないが、前後の関係からもさほど無理があるとも思えないので、一つのたたき台として提案してみたいのである。

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