『説文』入門(39) -「壹」と「臺」(上)-
『三國志』魏書の東夷伝倭人条に女王が都する国として「邪馬壹國」、『後漢書』東夷伝倭条に「大倭王」が居る国として「邪馬臺國」が記されている。
江戸時代から連綿として「壹」は「臺」の誤りとされており、「邪馬臺國」が正しく、さらに字画の少ない「邪馬台國」と表すことが定説とされてきた。最近では逆に、「臺」が誤りで「壹」が正しいというような考え方もある。いずれにしても、どちらかが正しく、他方は間違いであるというような主張にみえる。
私の考えを陳べる前に、「壹」と「臺」の語義をみておく。後者の「臺」については、ここ何回かその音義を分析してきたので、今回は「壹」を中心に考えてみよう。
段注の『説文』で「壹」は、「壹 嫥壹也 从壷吉 吉亦聲」(十篇下063)である。但し、徐鉉・徐鍇本及び『玉篇』『廣韻』は共に「嫥壹也」を「專壹也」につくる。
段氏は、『説文』で「嫥 壹也」(十二篇下134)とする点から、「壹」「嫥」を互訓とみて、恐らく転注として「嫥」字を選択したのだろう。確かに義からすれば一理ありそうだが、「嫥」「專」がそれほど厳密に使い分けされていたのか不明であり、私は「專」に魅力を感じている。
「壹」の字形についても、段氏が会意かつ形声字とするのに対し、徐鉉・徐鍇本では共に形声字になっている。この点でもやはり後者がやや勝っている気がする。
音につき、『玉篇』は壷部二百五十二で「音一」、壹部三百三十六で「壹 伊日切」とする。「壹」「一」は、共に「於悉切」の入声あたりで、ほぼ同音と考えてよい。『廣韻』はやはり「壹 於悉切」(入聲巻五 質五)である。
段氏もまた『廣韻』説を採用して、「於悉切 十二部」としているように見える。まあ、しばらく声母を棚上げすれば、仮名音で「イッ」辺りだろう。
義については、この場合「嫥」「專」をほぼ同義と考えてよさそうなので、「專壹」は「一心に」「誠実に」あたりに解せる。
従って「邪馬壹國」の「壹國」は、『廣韻』の「誠也」「輩也」を採用して、「誠実な臣国」という意味合いを持つのではないか。『三國志』倭人条には、「邪馬壹國」の他に、また「壹拜」「壹與」の用例がある。これらもまた同様に読めるだろう。