『説文』入門(46) -「壹與」-
今回は『三國志』倭人条にある「壹與」について、列島史の観点から、どう考えればよいのか見当をつけたいと思う。私にとっては相当難解であり、結論に近づいていれば幸運である。考え方は三通りだろう。
1 表記通り「壹與」と読む。
2 「臺國」が「壹國」とされているように、「臺與」から「壹與」になったと解する。
3 「一拜」「壹拜」から、「一與」と解する。
無論、1が本筋である。記載通り読む事に言い訳はいらない。ただ、『三國志』倭人条本文に拘っている傾向があるかもしれない。
2について、既に『三國志』倭人条の「邪馬壹國」が「邪馬臺國」を原形にしたもので、陳寿には魏の大義名分論と中華思想が根底にあると説いてきた。この論法からすれば、女王である「壹與」もまた「臺與」が原形であったとも考えられる。三例ともに「壹與」が「因詣臺」の近くで使われており、そのまま「臺與」とはしにくい位置にある。『梁書』倭条及び『北史』倭國条では「復立卑彌呼宗女臺與爲王」とあり、実際に「臺與」とされている。
他方、「壹與」を漢語風の一字姓一字名と考えられないこともない。「伊聲耆」は、「伊-聲耆」とすれば、「伊都國」と「伊」を共有している。また「都市牛利」は二例目が「牛利」だから「都市-牛利」と分けられ、「都市」を複姓とも解せる。
『梁書』『北史』が「邪馬臺國」「臺與」で「臺」を共用しており、国名と王一族に共通の文字遣いがあったとも読める。陳寿がこれらをそれぞれ「邪馬壹國」「壹與」に書き換えたと考えるわけだ
3について、前回、「壹拜」は「一拜」が原形であると推定してきた。これを基にすれば、「壹與」は「一與」であったとも考えられる。ところが、管見では、「壹與」「一與」ともに用例が見つからない。「壹與」が夷蛮の王名で、仮借字であり、漢語としては意味がないからかもしれない。これに対し「一拜」は漢語であり、「壹拜」と書き換えても原形は復元できる。私としては、「一與」には用例がなく、「壹與」にしてしまえば元に戻せない点が気になる。
『説文』で「與」は「與 黨與也 从舁与」(三篇上330)で会意字。「與」を一字名とすれば、義が重要になる。「黨與也」は「黨」から、「仲間」「組する」などの義。『玉篇』は「與 用也」(舁部六十九)で「用いる」を採用している。この他、多様な意味がある。
また「與」を仮借字とすれば、音を整理する必要がある。『玉篇』は「余舉 余據二切」、『廣韻』は「余呂切」(上聲巻三 語八)と「與 羊洳切」(去聲巻四 御九)が収録され、仮名音では「ヨ」あたり。『集韻』には更に「倚亥切」(上聲)が収録されており、仮名では「カイ」「アイ」あたり。
以上、1、2、3いずれも考えられるが、「邪馬臺國」が「邪馬壹國」になった経緯から、夷蛮の王名を「臺與」から「壹與」に書き換えた可能性が強いのではないか。