『説文』入門(48) -売買-
今回もまた、字形の成り立ちの話である。今は資本主義の世の中だから、毎日売買が行われている。私がその極意を知っているはずもなく、ただ少しばかり字形についてまとめておきたいだけである。
「賣」の略体が「売」とされるあたりまでは、よく知られていると言ってよいのではなかろうか。ところが、「賣」の字がかなり厄介なのである。
『説文』では一応「賣 出物貨也 从出 从買」(出部 六篇下009)と読むことができる。フォントの関係で題字を「賣」としたが、実際には上に「出」、下に「買」とする会意字である。
「出物貨也」の「出」はよいとして、「貨」は「貨 財也 从貝 化聲」(六篇下082)で「化聲」とされ、一応形声字となっている。ただし、段氏は『廣韻』が引く蔡氏『化淸經』から、また会意字とも考えている。私もまた、物が貨幣に化ける印象があり、形声かつ会意と解することが自然だという気がしている。
とすれば、ほとんど現在と変わらぬ義であって、まあよくもこんなに長く同じようなことをしているもんだという感慨がある。
恥ずかしい話だが、私はこの「賣」を貝部にある他字(六篇下135)と混同していた。まあ言わば「讀」の旁になっている字形で、長い閒「賣」と同じものだと考えてきたのである。
だが、少なくとも両者は『説文』で異字となっている。目を凝らして見ていただく他ないが、「貝」の上にある「四」の字形が異なっている。「賣」の場合は「買」だから「网(あみ)」、「讀」の旁の場合は「囧(けい)」の略体であり、確かに構成要素が違う。
私が誤ったのは『玉篇』が既に混乱していたからだと言うつもりはない。一つ一つの字を丁寧に見ていないからこんなことになるのであって、自らを厳しく戒めているところだ。
他方、「買」は「買 市也 从网貝」(六篇下122)となっている。「从网貝」は「网貝に從う」義で、「网」「貝」の会意字である。
「网」は網目で、楷書では横目にも解せそうだから、ちょっとした驚きがある。「市也」の段注に「市者 買物之所 因之買物亦言市」とあり、「市」はまあ「物を買う所、またはそこで物を買うこと」あたりでよいのではないか。従って字形だけから言うと、「網の中に入っている貝」だから、市で物を買う姿が思い浮かぶ。ただし、「網をかぶせて財貨を取り入れる」と解する説もある。少なくとも戦国時代から後は、実体として、銭を使い「入物貨」した義と考えてよいのではなかろうか。