『説文』入門(51) -ハンセン氏病-

今回私がこの国におけるハンセン氏病の歴史に触れるとすれば分を過ぎた行為であるが、正しい理解の一助になれば幸いである。
『説文』では「癘 惡疾也」(七篇下216)で、形声字である。仮借字として「厲」の字形が使われることがある。『公羊傳』では「疒」を「列」につくり、『廣雅』では「來」につくる。いずれも音符として「列」「來」を選んでいる。
音について、段氏は大徐の「洛帶切」を採用しており『唐韻』説だと解してよかろうが、『廣雅』疏證には「癘 説文力大切 惡病也」とあり、異なる系統の『説文』が垣間見られる。まあ、仮名音で言えば「ライ」「レイ」あたり。
ただし義については、「惡疾也」と言っても多くの病気がある。後に「癘」は「癘疫」に特化し、新たに「癩」字が作られ、とりわけ「惡瘡」を訓とするようになった。
かつて「癩」は、中国でも、業病と考えられていた。古くは『大戴禮』『公羊傳』の何注によると、「惡疾棄者不可以奉宗廟也」となっている。社会から見捨てられ、共に宗廟を祀ることすら叶わなかった。宗族や家族からも遠ざけられたのである。
この点では、病原菌の強弱は分からないとしても、「伝染性」の病気だという意識はあったのではないか。自然治癒する例があったのかどうか不明だが、後遺症から、不治の病と考えられていたと解せる。
『論語』雍也篇第六「伯牛有疾」の苞氏注に「牛有惡疾 不欲見人 故孔子從牖執其手也」とあり、一般に「惡疾」は「癩疾」と考えられてきた。孔子は「牖(垣根)」から手をさしだして伯牛の手を執ったとされている。
1873年ノルウェーのハンセン医師が「ライ菌」を発見、1940年代からプロミンなどの治療薬が開発されたことにより、確実に治せるようになった。感染症であり、既に相当前から完治する病気になっていたのである。
長期にわたり、誤解と偏見から、追い詰められた患者の苦しみは想像を絶する。早急な解決が必要なことは言うまでもないが、双方向で、しっかり絆を確かめていくことを基本に据えたい。絆と言っても、まずは一緒に泣き、一緒に笑うことである。これこそが凍りついた互いの心をほぐし、いずれきっと社会の宝になる。
既に元気を取り戻しつつある人が多いだろう。だが、まだしばらく休みが必要な人もいるに違いない。確かに世の中にはどんな人間もいる。としても、ただ前を向きさえすれば、家族のみならず、そこここに仲良くしたいと願う人間がいることに気づくのではないか。
私も理解に一歩近づいたと感じている。孔子ほどの人物でなくとも、そっと手を差し出せる時代になってきた。