小那比
先日「蛇と龍」というテーマで講演会をやるという話をしておいたので、僭越ながらここにその結果をレポートしておく。
小那比という地区は、上之保川の上流域にあたる。私は、年来、ここに出てくる「保」は「堡(とりで)」だと解していた。残念ながら、私は津保川から上之保川をゆっくり上ったこともないし、上之保道をたどったこともない。従って、上之保道が小那比を経由するのではないかと想像していただけである。
主催者の話によると、昔から下流域にあたる関の上之保地区から小那比へ大勢嫁が来ているらしい。中世史料を確認したわけではないが、一応、古くからの通行が考えられる。
まずは、「上之保」の「上」は武儀郡から見て北ということになるだろうから、また「郡上」の「上」に通じるのではないかと推測しながら小那比に向かったのである。
集落の中心地に立派な熊野神社があることから、更に想像が連鎖してしまい、頭が整理できない状態になってしまった。この神社には、守ができなくなった南部地区の神明神社や北部の白山神社が合祀されているという。
小那比という地名についてみると、「小」が面白い。それぞれ「那」「比」が万葉仮名でも使われる用字であるのに対し、私は「小」を「ヲ」ないし「オ」という仮名で使う例を知らない。
美濃市にある大矢田神社の「大」がやはり「オ」と読まれていることからすれば、この「小」は本来「ヲ」と読んでいた可能性がある。
『古事記』の仮名で言えば、「意」「於」が「オ」で、「乎」「袁」が「ヲ」である。「意祁」「袁祁」などの用例からすれば、前者が兄で後者が弟だから、「弟(ヲ)-ナビ」とも解せる。大小についていえば、「オ」を「大」、「ヲ」を「小」にあてる漢学者の解釈が入っているかもしれない。
講演会の結果は、結論から言えば、うまくいかなかった。今回もまた楽しんでいただけたかどうかはなはだ疑わしい。
この地区のきれいな景色と豊かな歴史に目が行ってしまい、混乱を収拾できないまま話に入ってしまった。また用意していた資料が多くて、こなして話すには時間が短すぎた。しかも資料の字が小さかったので、高齢者にはきつかったかもしれない。読んでいただくにも、その間がなかったというあたりが実情ではないか。
敗因を整理するといくつか考えられる。
1 この地区の方から面白い話題をいくつも聞きながら、うまく生かせなかった。
2 最後まで主催者とテーマについて小さな齟齬があり、しっかりした意識で迎えることができなかった。
3 聴衆の年齢からすれば、私の人となりやら、世間話をもう少し長くする方がよかったかもしれない。
もう蛍の時期は過ぎてしまったようだが、小那比はいろいろ楽しめる綺麗なところだった。この講演会で、武儀の方からすれば郡上が新播(にいはり)の地であることを実感できたことが収穫かな。有り難うございました。