ほぼ七年

この欄にコラムを書くようになって、ほぼ七年が経つ。週一で七年だから、計三百五十本ほど書いたことになる。これを機会に、後先を考えてみたい。
普通ならこれだけ書けば、初心者マークも取れて文章も上手になっているはずだが、なぜか下手なままである。
つらつら考えてみるに、私は根をつめて物事を考える性分ではないし、どこまでも推敲するという執念がない。拙いとしても書いたその時々の心持ちがあり、私にとっては一旦書いたものを書き換えることが難しい。
書き始めの頃は、日ごろ心に浮かぶことを拾い上げ、田舎生活の匂いを付けてスケッチすることが多かった。
百本を越える頃から、『説文』や古代史などでシリーズ化したものが多くなってしまった。私としては、皆さんと一緒に、頭の中でもやもやしていたことを整理したかったからだ。ただ充分基本ができていない分野も多く、修正する点も多そうで、楽しんでいただけたか心配している。ただ、これらは私なりに長年温めてきたものであり、オリジナルとは言える。
コラムが本来時事を扱うものとすれば、私が書くものは本流からはずれているかもしれない。歴史学などは、普遍性のあるテーマが多いとしても、なぜ今なのかという疑問がある。仮に私の文章が少しばかり鉱脈に当たっているとしても、さらに一歩一歩実証を重ねるほかないのである。
好きに書いているおかげだろうか、私の中では少しずつ混乱が収束して、次のテーマへ前向きになっているとは言えそうだ。この場を与えてくれた人に感謝している。
アメリカのリーマン証券倒産に端を発して大不況に突入してしまい、その出口が見えそうな時に東日本大震災が襲った。当局の対策にもかかわらず、中々展望が開けない。相変わらず財政状態はひどいし、数年後には消費税も上がりそうだ。私如きが嘆いてみたところで何の足しにもならないが、庶民は日々の生活に追われながら、まあ力強く生きていると言ってよいのではないか。振り返ってみると、不安な世相を尻目に、私の人生は割合平穏だった。一寸先は闇だとしても、今のところ何とか健康を保っているし、孫も増えた。
今後このコラムがどう進むのか分からない。やや風呂敷を広げすぎた観もあるので、私が書くのであれば、これからはある程度集約していく方向で考えたい。ただしこのコーナーをフレッシュにするには、私では今一だろうから、バトンを渡すことも併せて考えていく所存である。

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