よそ者
ふらりとどこからともなくやって来た馬の骨にとって、「よそ者」はいつも気になる言葉である。また何代も同じところで暮らしてきた人にとっても気になる存在だろう。
よそ者と「内なる者」の基準はどのあたりにあるのだろうか。比べる対象が同年代なのか世代が異なるのか、同性なのか異性なのか、出身地の遠近はどうかなど考えだすと結構複雑のようにみえる。
郡上八幡は、かつて城下町だったので、このあたりの中核だったことは間違いない。従って、四方から若者が集まってきた歴史がある。彼らはここで新たに所帯を構え、子供を育て、そして孫の顔を見るというのが根幹たる価値観だったと思う。
子供同士の世代になると、生まれながらにして共通の空気を吸い、共通の生活感を体験することになる。そして彼らは自家の墓を守り、共通の鎮守を祀っていくことを期待される。
従って、内外(うちそと)の基準は第一に同じ墓を守る血族、第二に姻族、そして最後に共通の鎮守を祀る者などとなる。こうして「内なる者」の核が出来上がっていく。この意味では、隣村もよそ者になりかねない時代があった。
更に孫の代ともなると、三代にわたるから、互いに家系の長所短所を併せ呑んだ付き合いとなる。表向きは地縁としても、あちこちに血縁がからむ。
以上が「内なる者」の概要ではなかろうか。とすれば、内なる関係に発展するには少なくとも二代ないし三代のつき合いが必要ということになる。
私の場合、郡上で暮らし始めてから三十年以上が経つし、途中数年帰郷しているものの、通算すればやはりここで三十年近く住んでいる。
同年代の同性を考えてみると、内外の基準として、やはり同じ学校に通って共通の時間を過ごしたことが重要になるらしい。多感な時代を、同じ空気を吸い、同じようなものを食べて生きていたことは確かに人を繋げる大切な要素である。
自らを振り返ってみても、肉体及び精神面で振幅の大きい年代を共有したのだから、互いに年老いたとしても同郷の旧友は話題が尽きない存在かもしれない。
ここで生まれた私の子供は、こちらの学校へ通っていた。確かに、子供同士では私と異なった関わりがあるとは思う。
ところが、私はここでなかなか墓をつくる気にならないし、子供に墓の面倒をみてもらう気もない。まだはっきりはしないとしても、今のところ、ここで血縁も生まれないような気がする。となれば、私がどれだけ長くここに住んでも、よそ者という立場は変わらない。むしろ、その事にこそ私の存在価値があるのかもしれない。
まあ、いくら長く暮らしている外国人でも「外人(がいじん)」と呼ぶ文化だから、「他處(よそ)者」という言葉なら言い当てて妙というべきか。