『説文』入門(60) -「柩」と「棺」-

何か縁起でもないことを書こうとしているように見えるかもしれない。実は、このシリーズ(58)でせっかく『禮記』(雜記下)を引用しながら、「柩」と「棺」の違いを説明できなかったことが妙に心残りになってしまった。このまま棺桶に入ってしまうと未練が残りそうなので、書いておくことにする。
「柩」につき大徐及び小徐の『説文』は「匛 棺也 从匚 久聲」(十二篇下323)となっており、「匛」の形で形声字である。ここまでは段注も同じだが、彼は「柩 匛或从木」として、「柩」の字形をつけ加えている。
この解だけでは「匛 棺也」だから、「柩」「棺」に違いがなくなってしまう。が、段氏が析言しているように、「是棺柩義別 虚者爲棺 實者爲柩」と考えてよさそうだ。つまり、屍が入っていない状態を「棺」、入っているものを「柩」と解するのである。
他方「棺」は、「棺 關也 所以掩屍 從木 官聲」(六篇上413)となっている。「棺 關也」は、同類の音で定義する声訓と解してよさそうだ。『釋名』も「棺 關也 關 閉也」(巻八釋喪制第二十七・33)だから、この流儀を引いている。『説文』は「屍を覆う」で、『釋名』は「閉じる」だからほぼ同義と言ってよい。さてここで『禮記』の記事をもう一度確認してみる。
「升正柩 諸侯執綍五百人 四綍 銜枚 司馬執鐸 左八人 右八人 匠人執羽葆御柩 大夫之喪 其升正柩也 執引者三百人 執鐸者左右各四人 御柩以茅」
この中で「柩」は以下の四例で、「棺」の用例はない。
1 「升正柩」
2 「匠人執羽葆御柩」
3 「大夫之喪 其升正柩也」
4 「御柩以茅」
従って、この「柩」の中に全て屍が入っていることは間違いあるまい。私は「升正柩」(1)につき鄭玄注の「將葬朝于祖正棺於廟也」を引いて、「正棺を廟へ公式に葬る」あたりとした。これは「將に祖に朝し、正棺を廟に葬むらんとす」と読み、祖廟までの葬送を記していると解したからだ。
それでは、なぜ鄭玄は「棺」を用いたのだろう。彼が「柩」「棺」をほぼ同義に使っていたとも解せるが、使い分けていたとすればややこしい。
葬式だから柩に屍が入っていて、祖廟に安置するまで状況は変わるまい。ここからは単なる推測だが、このままでは遺体が傷んでしまうので別に埋葬し、廟に棺のみ残されるようなことがあったかもしれない。
いずれにしても、この記事をもって銅鐸が「祭祀用の楽器」であったと定義するのは納得できない。やはり孔穎達が解したように、葬列で、武官である「兩司馬」が銅鐸を使い一党を整然と行進させたと解したい。

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