髭人生 -青年期-

髭を生やし始めたのは、二十歳を過ぎたころだった。
もうはっきりとは動機を思い出せないが、これからは一人の力で生きていくぞという決意が背景にあったと思う。それだけでなく、自分の顔をそのままさらして生きていくことが気恥ずかしかったのも事実である。
幸い、学費が自分の采配で何とかなる時代であったし、寮住まいで生活費もさほど高額ではなかった。バイトで生活できる自信が生まれていたと思う。
一回生の夏休み明けだったか、まとまった奨学金を受け取り、すっかり舞い上がってしまった。髭を整え、喫茶店で本を読み、部屋に戻ってはパイプで香りのよい葉をふかしていた。何かの映画で見た大人の姿だったのかもしれない。まだ一人前には程遠い青年期のことであり、気負いが先走っていたことは間違いあるまい。
学生時代は、毎日髭をあたるのが面倒でもあり、そのまま生やしていたのではなかろうか。顎にもあったかなあ。寮では周りに殆ど先輩しかいなかったのに、まったく気にしなかった。
一人暮らしなら風邪をこじらすだけでも心細くなるものだが、寮だったので、そこそこ勉強もできたし生き延びることもできたのだろう。
卒業近くなって、就職試験を受ける時期に髭を剃ったかどうか覚えていない。幾ら昔のこととはいえ、面接するのに髭を伸ばしたまま行かなかったようにも思うが、定かではない。
郡上に引っ越したのは二十七八の頃で、その時にはすでに口髭は欠かせない習慣になっていた。周りには髭を蓄えている人が殆どいなかったのに、習慣を変えようとはしなかった。多くの人には、半人前のくせに生意気な奴だと映っただろう。
昭和五十六年の豪雪はひどかった。その時にもバイクで仕事場へ通っていた写真がある。恥ずかしながら、口髭のみならず顎鬚も生やしている姿が写っている。
そのころはバイクでむき出しなので、冬場が寒く、顔全体が凍りつくようだったことを思い出す。眉毛や髭が凍りついていた。人から見れば、顎から首筋を温めるために伸ばしているように見えたのではないか。私の髭が市民権を得るのに役立ったかもしれない。誰かに、山嵐と呼ばれたことを覚えている。
三十代を過ぎる頃には、すでに髭が当たり前になっており、下着を着ているのと同じような感覚になっていた。

突然ながら、先の東日本大震災で亡くなった方には黙禱を捧げ、被災された全ての人にはそれぞれのやり方で仲間をつくり生き抜いて欲しいと願っています。

前の記事

銅鐸拾遺

次の記事

よそ者