におい
誰でも、この世に生を受けてから、様々なにおいを嗅ぎながら生きていく。「匂い」なら良いにおい、「臭(にお)い」なら嫌なにおいと考えてよいだろう。「におい」ならどちらにも解せる。残念ながら現代仮名遣いでは、「臭い」はまた「臭(くさ)い」とも読むので、混乱しないようにしたい。
感受性は一般に青年時代の方が敏感なものなのだろうか。私の場合は、必ずしもそうとは思えない。ただ、刺激に対する反応の仕方は今より激しかったとは言えるかもしれない。
播州平野は結構広い。遠く北の方を眺めると、山が自分の目線より下にあり、藍色に見えることが多かった。山は、身近にはなく、ふと目にする存在だった。山に登ったというような経験もなく、なんとなく憧れの対象だった気がする。従って、私にとって自然と言えば、海と川だった。
だが、私の少年時代は高度成長期にあたり、日頃目にする加古川や明石川、武庫川などは下水が大量に流れ込み、清流とは程遠い存在だった。なんだか「臭(にお)い」がしそうで、近寄る気にならなかった。
それでも、これらの河川から離れた海なら、充分海水浴できた。私の育った海辺は、近くに小さな漁港がある小石交じりの砂浜だった。大量に積まれた蛸ツボと、貝や海藻の乾いたにおいが脳裏に残っている。海の日常を経験している人なら、「匂い」とするか、「臭い」とするか評価はさまざまだと思う。山の人なら、潮のにおいを実感できない人もいるだろう。「臭い」と評価する人が多いかもしれない。今なら、どちらにしても受け入れられる。
我流ながら私が登山を目指すようになったのは、自分の育った環境とかけ離れた自然を経験したかったからかもしれない。主として、裏六甲を中心に歩き回った。渓谷の水だけでなく、空気まで透明さを感じることができた。中でもシャクナゲ谷が気に入っていて、繰り返し登り下りした。
私が郡上へ引っ越した理由は未だ自分でもよく分からない。ただ、下流にあたる岐阜市でもそれなりに長良川の水が透き通っていた記憶が残っている。この上流であれば、本当の川の「匂い」が感じられるだろうと想像したのは事実である。
すっかり歳をとってしまった。若い時なら青臭いにおいを発散させてきただろう。今となっては、ヤニ臭い口臭や加齢臭を気にしながら生きていかねばならない。いやいやそれならまだしもであって、老人臭は仕方ないとしても、死臭を漂わせていなければよいが。