瓢岳(12) -那比本宮(中)-

本宮は山崩れによって流失してしまったので、殆ど史料は残っていない。今回は本宮の語源説を二つ紹介する。
一つは本宮を新宮と一組とみて、熊野の本宮および新宮に見立てたとする。これは熊野比丘尼の話など、関連する伝承や地名が残っている。
星宮神社と新宮については、『巖神宮大權現之傳記』に、「夫粥川村者現六所最初建立 故任神代遺風神名祝祭星宮大權現 本地則虚空藏大菩薩 可謂西國順禮最初似參詣勢州朝熊矣 當社紀州僭熊野之新宮 則本地藥師如來 高光公御寄附尊容于今懸在本堂内 陳依之當國順禮者從粥川初而新宮本宮白谷高賀札打納事從往古引付分明也」とある。大切なところなので省略しないで引用した。
ここで星宮神社が譬えられている「勢州朝熊」は伊勢の朝熊岳のことで、伊勢音頭に「お伊勢参らば朝熊かけよ、朝熊かけねば片まいり」と歌われる。山頂付近にある金剛證寺の本尊は虚空蔵菩薩で知られている。だからと言って、これだけでは、星宮神社が伊勢信仰を原形にするとまでは言えない。高賀六社めぐりの最初が「西國順禮の最初である朝熊岳へ参ることに似ている」と書いているに過ぎない。
また新宮が喩えられている「熊野之新宮」も聖地で、第二殿である速玉宮の本地は薬師如来とされる。那比新宮でも薬師を本地とし、高光が新宮へ寄付したものが本堂内に懸っていたという。これは、本地を虚空藏菩薩とする以前の姿を示しているかもしれない。
これからすると、本宮もまた熊野のそれに例えられていた可能性は充分ありそうだ。
ただし「熊野の新宮に僭(なぞら)える」と書かれており、「僭」は「分不相応になぞらえる」など「僭越」「僭稱」が念頭にあろうから、これが新宮の由来とまでは言えまい。十四世紀中ごろには、名称が類似するだけであり、熊野の新宮にあてるのは僭越とされている。
だが、ルート上で本宮の次に記されている「兒宮飛瀧大權現」が「兒宮-飛瀧大權現」とすれば、後者が熊野信仰に関連しそうだ。元来那智大社が那智大滝を祀ったものとすれば、習合した時点で飛瀧(ひろう)権現を祀ることになる。とすれば、新宮、本宮に加え、「飛瀧大權現」が那智の大滝に擬えられていることになり、熊野三社がそろう。また、新宮の祭神を那比大神と伝える点も、その呼称から、熊野との関連が想像される。実際に熊野信仰が優勢な時代もあったが、『傳記』の時点では、例えにまで零落していたと読めないか。
もう一つは『高賀宮記録』に「大本神宮の正裏故に本宮と御号し、神々御鎮座にて 藤谷之神社、高賀山本宮大明神」とある。この説について、「大本神宮」はやや大げさな命名で、本宮がさきにあったのでこれを超える名にした印象がある。関連性に乏しいだろう。

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