集団的自衛権
焦点になっているテーマを取り上げるのは私らしくないような気がする。かつて様々な制約があった時代と異なり、我々は自由な意思によって議論することができる。たまには火中の栗を拾ってみよう。
首相の私的諮問機関が憲法解釈によって集団的自衛権を認める答申をしたそうな。憲法九条によると、戦争及び武力の行使を永久に放棄し、陸海空その他の戦力は保持せず、国の交戦権は認めないとなっている。
この条文がどんな経緯で生まれたのか触れないが、今まで戦争なしにやってこれたのだから、平和に貢献したことは認められる。平和であれば、生きるための経済活動に専念できる。いろいろ意見はあろうが、それなりに豊かな社会になってきたと思う。
自衛隊が合憲か否かについてすら疑問を抱えながら、自衛権の放棄までは書かれていないし、専守防衛ということで合憲と解釈されてきた。この辺りまでは「個別的自衛権」の範囲内としてそれなりに認知されているだろう。
だが平和であっても、他方でソ連が北方四島を、韓国が竹島を占拠したことに対応できなかった。さらに二十一世紀に入ってからは中国の海外進出が目立ち、南シナ海や東シナ海などでもめ事が多くなっている。中国はこの膨張政策の一環として、あからさまに尖閣諸島の領有を目指している。彼らの政策が変わらない以上、侵略行為は限りないとみるべきだろう。
これに対し日本が、法整備をした上で、しっかり自衛するのは必然である。強引に現状を変えようとしている中国に対し、呉越同舟ながら、アメリカと同盟関係を強めることは確かに一つの選択肢である。その上でASEANなどと集団的な自衛を考えるのも、一層リアリティを持つようになった。
集団的自衛権の定義は、国連憲章では、他の国が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国が、共同して防衛にあたる権利ということになっている。日本もまたこの権利を有しているが、歴代内閣はこれを行使することが憲法上許されないと考えてきた。今回は、拡大解釈をして、この制約を取り払おうというわけだ。
私は、外交により、北朝鮮のみならずロシアや中国と友好関係を築くことを願っている。韓国にしても同様である。だが、力で現状を変えようとする中国などの行為が日本にも向かっていることはもはや否定できない。
とは言え状況に引きずられ、憲法の解釈を変えて、交戦に至る可能性が高くなる集団的自衛権の行使まで可能にするのは法治国家として無理がある。
この国は阪神大震災や東日本大震災でも近代国家として法治が貫かれてきた。確かに憲法によって平和の恩恵を受けてきたが、失ったものもある。現憲法は戦後体制を前提にしており、これを脅かすものに対応し難い。戦後は終焉した。自信を持って新たな平和理念を語り、憲法改正をちゃんと議論する時が来たのではあるまいか。