山菜の天ぷら

今でも、鼻の奥にほんのりと香ばしいヨモギの香りが残っている。
青年時代、私は天丼に恨みがあった。と云うよりは、憧れがあったという方が適切かもしれない。大学は京都で、寮生活をしていた。普段は、食事を寮内ですまし、外食することはない。私の記憶では、連絡しておけば遅くなっても食べることができた。しかし冷たくなってしまう。
そこで時間が間に合わないと、定食屋へ行ったものだ。座ってお品書きを見ると、左側から値段の安いものが並び、右へ行くにつれて段々高くなる。端っこにあるのが天丼とかつ丼である。天丼の方が右端にあったかなあ。
普段の経済状態では真ん中より左の方を見て決めるしかなく、なるべく右の方は見ないようにしていた。
ことほど左様に、天丼には手が届かなかった。これが積み重なると、一種の緊張感が生まれ、恨みがましい気分が生まれてくる。
これを引きずっていたのだろう、仕事に就いて稼ぐようになると、外食する時に必ずかつ丼を頼むようになった。まずこれをやっつけて、精神の餓えを癒そうとしていたのだと思う。なぜか天丼ではなかった。天丼は我が家で食べるものになっていく。
若い時なら前日一通り食べても、翌日残ったものを天丼にするのが定番だった。中年の半ばあたりで、少しは癒されて、天丼に関しても落ち着いてまっすぐ見るようになってきたかな。
かつ丼にしろ天丼にしろ、恨みを晴らしながら食べるのは間違っている。やはり作ってくれた人に感謝して、おいしくいただくのが宜しい。愚かな私はこんなことが分かるだけでも時間がかかってしまう。
この歳になると、若い時ほど天ぷらが食べたいということはない。今では、孫が望む時に付き合うぐらい。自分から食べたいと要求することはない。
先日、ある筋から天ぷら用に山菜をいただいた。定番のタラ芽の他に見慣れないものが入っている。ヨモギの若芽、柔らかそうな蕗の小さな葉、茗荷の若芽などである。私はそれらを食べたことがなかった。
薄めの衣で上手く揚がったからか、それぞれ風味がよい。腰が引けていたヨモギが意外にも香ばしくて、ほのかな苦みもよかった。蕗の葉も予想していたほど苦味はなかった。やはりそれぞれ土地の人は美味しいものを知っているものだ。
海辺なら海の食材をおいしく食べてきた方法があるに違いない。山の中なら山菜ということになる。高価な食材は何もないが、季節を贅沢に味わうことができた。近頃は天ぷらも素直に調理法の一つとして受け入れ、コンプレックスがなくなってきたかもしれない。歳相応に少し食べる分には胃にもたれないし、味わって食べられる。