多胡碑(中)
金石文は第一史料であるから、読むのに準備が大変だ。しかし、なんとか格好をつけてからしか、次へ進めない気がしてきた。
金石文の解釈は、周辺の資料を参考するのはもちろんであるが、まずはそれ自身をしっかり検証することから始まる。
この碑文を読むと、金石文らしくすっきりしている印象がある。画数の多い文字が少ないからかもしれない。金石は、一般に減筆して字画を減らす傾向がある。少しばかり画数の多い字を検証してみよう。
最も字画の多い文字は「藤原」の「藤」で、草冠が「艸」なら六画、通常の略なら四画、本碑では「艹」で三画となっており、減筆されている。旁にある下水の部分もやや崩れて、字画が減っているように見える。それでもそれなりに字形を保っているのは、高官の姓であり、これ以上崩せなかったという意味があるかもしれない。
「原」は厂垂れの中にある泉の頭にある一画が省かれており、なぜかあまり嬉しくない。
この他「穂」は、現代の字形と同じで、「穗」ではない。「ほ」という和音では「穂」の字形がふさわしいという意味があるとしても、これもまた略体と言ってよかろう。篆書体は「爪」と「禾」の会意字。
この他「親」も旁が略体であるし、碑中、字画の多い字が減筆されている傾向がある。仮に「羊」が「養」の略体とすれば十五画で、画数が多い方に入る。
「養」は食偏に「羊」が声符であり、諧声が残されていることになる。これは「銅」が「同」、「鏡」が「竟」などとされることに共通しており、珍しくない。ちなみにこの碑では「銅」のままで「同」になっていない点は、「和銅」が年号であり、正式文書の意味がある石碑では略しにくかったのかもしれない。
音について言うと、「養」は「養 余兩切 十部」、「羊」は「與章切 十部」で、段氏説では同部。『廣韻』で「養」は上声と去声、「羊」は下平聲に分類されている。声調は異なるものの同部の韻で、假借が可能ということになる。
「給養」とすれば、俄かに引けないけれども、用例はある。
以上「郡成-給養」で、「郡成」を「郡を成すに」あるいは「郡を新成するに」の意とすれば、「給養」と共に漢文調で読めそうである。
「羊」を人名とする場合は「ひつじ」と読みそうで、「藤原」「石上(いそのかみ)」などと同様に固有名詞と解しており、不可能というわけでもなさそうだ。ただ「羊」が姓であるのか名であるのかも不明であり、これで人物を特定できるのか一抹の不安がある。また、新たに郡を成し、これを史書に功績が記されていない個人に与えるという行為を碑文に「符」という形で記すなどというのはいささか遠い印象がある。