秋盛り
とうに彼岸が過ぎ、十月も残り少なくなった。ここ数日天気が続き、さわやかな陽気である。昼間なら冷たいお茶が飲めても、夜になるとつらくなり、熱いのが欲しくなる。とりあえず快適な季節である。
中途半端な人生を思えば、始終じっとしていられない気分になる。だが、能力を超えて何かを成し遂げることはなかろうから、分相応の日常を送る他ない。朝起きて目が見えれば喜び、それなりのことができると感謝し、日々新たに生きてはいる。
先々の事を考えると気が重い。逆に、先々の事を考えるから気が重いとも言える。
実際のところ、私の人生は気楽である。かなり自分に期待してきたが、ここまでくれば、大よそ自分の能力がどんなものか弁えられる。また、昨日を生きることはできないし、明日を生きることができないことも分かってきた。仕事に関して言えば、私の代わりは幾らでもいる。
私なりにはこれでも、今日を充実させていくことでより人生を楽しむことにしているし、刹那を生きているわけではない。それなりに個人として積み重ねてきた付き合いにも色と味がついてきたように思う。
近頃日本でもハロウィンが定着してきたのか、郡上でもこの日に子供への菓子まきなど様々なイベントが行わるようになってきた。大人と子供が一堂に会し互いに温もりを感じられるのであれば、ハロウィンであれクリスマスであれ、伝統化しても問題はない。
今年は、孫を連れて小さな秋祭りへ行ってきた。こういった催しでは結構大人が頑張るので、子供たちが大人に疑いの目で見ることが緩和されるだろう。また、大人同士が仲良くなれば、地域社会全体で子供を育てる機運もさらに強まるだろう。
勉強や部活、塾やクラブなど忙しい生活をしている年長の子供たちにとってもこのような催しは悪くない。彼らも仲間だけの小さな社会から出て、大人の息遣いを知ることができる。
肌寒くなると、条件反射のごとく、人恋しくなる。何回繰り返してきたことだろう。新たな付き合いを避けて内に籠っているわけではないが、この歳になればいくら焦っても、じっくり話せる人が急にできるものでもない。
来月、定年退職した旧友と温泉へ行けることになった。私にも、湯につかって話せる人がいるのだと嬉しくなる。
時間が早く過ぎるのか、遅く過ぎるのかよく分からない。