喜楽

私の人生は悲観と楽観が入り乱れている。人によっては悲観が勝つこともあろうし、また楽観が勝つこともあろう。これらはまた、私の個人史においては、層を成している気もする。
「気楽」には似たような意味で「喜楽」という用語がある。どうやら私のモチーフは後者が優勢らしい。今日の気分でも、喜楽の方がぴったりする。
近頃は、所構わず大笑いすることがなくなった。すっかり歳をとってしまったという意味があるとしても、それだけではなさそうだ。壮年時代であれば、少々の苦労なら、いくらでも取り返せるという根拠のうすい自信があった。
浮世の欲にさほど興味なく、小市民として生きていければ充分という生き方だったからかもしれない。だからと言って、私が金や異性を無視してきたというわけではない。少しばかり拘りがあるにはあったが、気分よく生きるのが最優先で、それ以上は望まなかった。
遊びにしても、割合金のかからないものが多かった。若い時にはパチンコもやったし、競馬などのギャンブルをしなかったわけではない。が、長く続ける熱意はなかった。ただ圍碁や将棋などは時間をかけて遊ぶものなので、ゆったりした生き方を望んできたとは思う。
例え失敗の連続であっても、自分で納得していれば、へこたれることはない。むしろ失敗は人生を楽しくさせることが多い。若い時には、自分の愚かさを笑い飛ばす力があった。これには若さと言うか、勢いがあった気がする。
だが歳をとってみると、そのような自信がすっかり消えた。私の場合、自信がもともと砂上の楼閣だったからだろう。
私は通勤の途中、たまに口笛を吹く。ところが、私をよく目にする人が「いつも口笛を吹いていますね」と教えてくれた。そんなつもりはなかったので、少しばかりショックを受けた。どうやら意識があるときも無いときも吹いているらしい。とすれば、なかなか宜しい。
『説文』によれば「喜 樂也」(五篇上201)である。この場合は「楽(ラク)」と解しておく。また『禮記』によれば、「樂者 樂也」(卷第三十九 樂記)とある。上の「樂」は音楽のことで、下の「樂」は「楽しい」。大昔から、音楽は楽しいというわけだ。
知らず知らずに口笛を吹いて、心に隙間を作っているのだろう。ふざけていると思うなかれ、それなりに心から楽しんでいるのだ。
音楽は人生を楽しくさせるものばかりではないとしても、悲しみや不安を和らげ、余裕を持って現実と向き合うために心を休ませてくれているのかもしれない。

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