長老回顧

前を向いて生きれば、ほとんど昔を思い出すことはない。心配事が多くて、ゆっくり回顧する暇がないからだ。ところが、ふとした時に甦ることがある。
わが横丁の長老は、痩せ形で、飄々と歩く人だった。今思えば、面倒な仕事も嫌がらずにやっていたと思う。たとえ難しい仕事でも、苦労の後を見せないでこなしていた。表だって誉める人はいないとしても、町内で仲良く暮らすのに欠かせない存在だった。残念ながら数年前に他界してしまった。
晩年は仲良くしてもらい、よく喫茶店で小さなことから大きなことまで話す間柄になっていた。彼はぎりぎりまで町内の仕事をやり、また死に支度として自分のルーツをいろいろ調べていた。
人望厚い人物だから、周りの人が放っておかない。史料もかなり集めていたようだ。私に語っていたことからすれば、寺の過去帳や位牌から、幕末辺りまでは辿れていたようだ。どうやら幕末で分家したらしいが、それ以前が難しいようで、本家筋の事は殆ど分からず頓挫していた。
そのあたりの話だったと思う。彼から、暇な時でよいから、史料集めなどを手伝ってほしいと言われていた。
力不足であるし、何せよそ者として入ってきたわけで、つても余りない。古くからの付き合いがなければ大切な史料を見せてくれる人もいないだろうし、とても力になれないというようなことを言った記憶がある。
それでもまあ、成り行きで、一緒に史料を読むようなことはあった。ことほど左様に、必ずやるという約束はできないとしても、出来るだけのことはやっていた。
だが本人が目の前にいなくなると、どうしても我がままになり、記憶が薄れていく。彼のことは時に脳裏をかすめることがあっても正面に据えることが少なくなる。これも人生かと感じていた。ところがつい最近、たまたま彼のルーツに関連しそうな史料にぶつかった。狭い町だから、こういうこともある。彼の顔が生き生き蘇ってくる。
何代か前に宗旨替えして門徒になったが、それ以前は日蓮宗の檀家だったことを聞いていた。その寺に関する史料が出てきたのである。
何でも本家筋は、江戸時代中期に中坪村の庄屋をやっていた時期があるらしく、ひょんなことから解任されたそうだ。はるか昔のことだから、やれ名誉だのやれ損得などと言う人もあるまい。少しばかり書いてみよう。
その寺の六世にあたる人物が絶世の美男子で、多情の性だったらしく、いろいろ浮名を流していた。享保年間のこと、競争に負けて恨んだ女性が寺に火をつけ、本堂、庫裏、仏像が烏有に帰してしまった。類火のため家屋敷のみならず貴重な文献も失い、本家は御役御免になってしまう。失職してからは、家運が傾いていったようである。

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