忘れ物
寄る年波に勝てずというやつか、近頃よく忘れ物をする。「すっかりボケたな」となりそうだ。
ちょっと格好をつけた書き出しになった。まるで若い時に忘れ物をしなかったと言わんばかり。私は物覚えがよくないからか、あまり覚える努力をしてこなかった。自分の能力に期待していなかったのだろう、物忘れは宿縁の業なのである。仕方がないので、繰り返しやればたいていのことは身につくという流儀でやってきた。
『詩經』を読んでいるうちに、はたと思い当たる文に出合った。「將安將樂 棄予如遺」(小雅 谷風二章)という句である。鄭玄の箋に「如遺者 如人行道 遺忘物 忽然不省存也」という注があり、大体の意味は分かる。
「気楽にやろうではないか。道行く人が忘れ物をしても、思いもよらず、ちゃんとそこにあったりする」と読んでみた。これをどう解釈するかは、ご自由に。
もう三十年以上前のことで、ここへ引っ越す前だったと思う。友人を頼って、何回か郡上へ来ていた。記憶は褪せてしまったが、それでも新鮮さを失わない事実がある。
当時、岐阜から美濃太田まで高山本線で行き、そこで越美南線に乗り換えることが多かった。
私はディーゼル列車が好きだった。ゆったりできるし、山川の景色もよく、各駅の周辺もきちんと整備されて気持ちのよい路線だった。まだ田舎に活気があり、人手をかけることができたのだろう。
またバスが新岐阜から八幡、白鳥までかなり走っていた。急ぐときに使ったものだ。
大きなバスが街中の狭い道をぬっていくのが神業のようだった。八幡では本町にバス停があり、なかなかの風情であった。小さな町とは言え、本町と言うぐらいだから、一番の繁華街である。そこでの話。
往路だったか帰路だったか覚えていないが、時間待ちしていたから、帰路かもしれない。周辺を散策していたように思う。けっこう時間がたってから、財布を置き忘れたことに気づく。慌ててバス停まで戻ってみると、そのまま長椅子の上にある。中を確かめて無事なことを確認する。旅先だったので、よけい有りがたかった。
バス停のことだから、地元の人ばかりでなく、いろんな人が出入りしていただろう。それでも、何事もなく見つかるのだから、その時は「田舎の良さ」を実感したものだ。
しょっちゅう忘れるので、ちょっとした知恵がついた。何だと思いますか。忘れない工夫や努力をして、うまくいく人はなかなか偉い。私には無理だ。そんな考えは元から思いつかない。
それでも、一つだけ上手くいった方法がある。忘れてもいいように、覚えている間にやっておくのである。これにしても、人生の大きな忘れ物には歯が立たなかったがね。