阿瀬尾(あせび)
まだ十分温まっていないのに書きたくなってしまった。繋がりがほころびているかもしれない。阿瀬尾は気になる地名で、宇留良などと同様、その語源を考えてみても見当がつかなかった。歳も歳だから、ここらあたりで自分なりに纏めておきたい。
阿瀬尾は那比にある地区で、なぜか、これと足瀬(あしせ、あっせ)を一括りにして考えることが多い。足瀬の方が那比川の下(しも)にある。
かつて相生第二小学校があったぐらいだから、阿瀬尾がこの辺りの中心地と考えてよかろう。
新宮への分かれ道にあたる二間手に近いことから、私は、足瀬を含め産土神を新宮との関連で考えてきた。
阿瀬尾から直接に裏山へ取りつき尾根へ出るようなルートがありそうなので、新宮への入り口だった時期も考えられる。
私は、かつてこの辺りで本道が那比川右岸にあったのではないかと推測している。現在使われている道は途中に相当難儀な歩危がある。とすれば、新宮へも本宮へも参道が考えられる土地柄なのだ。本宮へ遡る藤谷洞へも近い。
本宮の石灯篭だったかの寄進者として「汗」という文字が彫られている。阿瀬尾ないし足瀬に関連することは間違いないとしても、なぜこの字を選んだのか不思議だった。
「アセ・アゼ」は川などの浅いところを指すことがある。「ア-セ」と分ければ考えやすい。「セ」「ゼ」は「瀬」で、この辺りで言えば「セ」なら「宮が瀬」、「ゼ」なら「馬瀬(まぜ)」などが思い浮かぶ。「ア」は、「阿千葉」の「ア」と同様に接頭辞と考えられることが多いだろう。
この解からすれば、「阿瀬(あせ)-尾」と解し、「足瀬(あっせ)」と共に、那比川を渡る「瀬」だったことになる。「尾(び)」は山の尾と関連するだろうか。
これはこれで不満はないのだが、どうしても本宮の「汗」が気になってしまう。高賀山の谷戸はいずれも牛のタブーがきつい。阿瀬尾及び足瀬は新宮ないし本宮への谷戸とも考えられるから、何らかの忌み言葉ではないかという思いが消えない。
『延喜式』斎宮の忌詞条(卷第五)に穢れの言葉として、外七言の中に、「血稱阿世」というくだりがある。「血を阿世(あせ)と称せ」辺りでよかろう。この場合の「阿世」は「汗」と解されることが多い。
かつてこの辺りが「血」を連想させる地名であって、これを嫌ったのではあるまいか。実際に森地区には「血取り場」「ちば」があった。或いは女性に関連するかもしれない。
争い事があったとは聞かないが、チガヤの広がる地だったことは確かなので、これと関連しそうな「ちはら」などもその候補として考えられる。