くる
今回は一旦書いてから温めてみる。方言には戸惑うことが多いとしても、はたと膝をたたくような表現もあるし、奥深い意味が隠れていることがある。
ここへ来るようになってまず戸惑ったのは、「行く」と「来る」だった。約束していた場所などへは当然「行く」なのに、「三時に来るわ」となる。今でもどうかすると、つっこみたくなる。
これまで、自らその場所に身をおいて「来る」と言っているのかなと解していた。或いは話している相手の立場に立って、主客を逆転させていると感じられる場合もある。
「大和には 鳴きてか來良武 呼子鳥 象の中山 呼びぞ超ゆなる」(『萬葉集』0070)という歌がある。
「太上天皇の、吉野の宮に幸しし時、高市連黑人の作れる歌」となっている。「呼子鳥」が吉野へとは逆の方へ飛んでいると解せるので、「來良武」は「来らむ」で、山を越えて「行く」と解されている。そこで「いく」を古語辞典で探ってみると「①行く、②戻る」とあり、奈良、平安時代から両義が併存しているらしい。ここでは用例を割愛する。
「いく」に本来「行く」「戻る」の義があるとすれば、「いで-くる」のような語形が考えられて、「い(で)-くる」から「い」が脱落したと考えられないか。これなら、「くる」に「行く」という意味があっても不思議でないし、この辺りの実態にあっているような気がする。
古い家の間取りに「デイ」「デー」などと呼ばれる部屋がある。「デイ」は客間のことで、旧家には「中デイ」と呼ばれる小さめの客間を備えるところもある。いずれも大切な客を迎えて歓待する部屋といってよい。多少不安が残っているものの、私は、この語源が寝殿造りにあった「出居(いでい)」だったと考えている。「出」は「いでず」「いでたり」「いづ」と活用し、その連用形「いで」に「ゐ」という補助の動詞がついたのではあるまいか。主が客を迎えるために出て、しばらくそこで相手をするというような意味だろう。
これでよければ、「いで-ゐ」から「いでゐ」となり、「い」が脱落し「でゐ」となったと考えられないか。
この他にも飛騨、美濃に共通して、「い」が落ちてしまう例がけっこうある。「来てった(来て行った)」、「出てかん(出て行かない)」、「傘をさいてく(傘をさして行く)」、「持ってけ(持って行け)」などの例が思い浮かぶ。これらはいずれも「出て-いかない」「さして-行く」など、「いく」が前の動詞を補助する役割をもっている。ただ「来て-行く」は、動詞の役割が十分残っているような気がする。
以上、「いでい」で語頭の「い」が消え、補助動詞の「い」が脱落するわけだから、この辺りでは「い」が落ちやすい傾向があるのではないか。