陰にこもって
これを書く気になったのはほんの数分前。だからと言ってすんなり筆が進むというわけではない。こんな重箱の隅をつつくようなことをここで書いてよいものやら。相変わらず小さなことに拘っていると言われればその通りで、言い返すすべがない。
だがいかに些細であっても、いかに歳をとっても、目前の暗闇に明かりがさすのは嬉しいものだ。私にとっては軽い興奮を伴う話なので、強硬突破することにした。
今朝も相変わらず作業をやっていると、ふと『説文』の「霒 雲覆日也 从雲 今聲 侌 古文霒省」(十一篇下100)という文章が目に留まった。
「霒 雲が日を覆うなり 雲に従い、今が聲符で、侌は霒の省文である」と読んでおく。
「陰」という字の右側に注目していただくと、「侌」という形になっている。阜(こざと)偏に、「侌」が旁(つくり)である。これまでこの「侌」について案がなく、暗闇のままになっていた。
また「霒」という字も理解の届きにくい字だが、回数をこなしていくとそれなりに見慣れてくる。「霒」はまた篆書体に近い「𩃬」という形があり、音義ともに同じ字の異体である。どうやらこれが混乱の原因になっていたらしい。
私は近ごろ字体が見やすい「霒」を使うようになってきたものの、「今」が下に入っている「𩃬」を思い浮かべることが多かった。
さて、「霒」の形をよく見ると「雲」が左で「今」が右になっている。『説文』は部首が非常に多く、この「雲」もまた部首に設定されている。ただ今では使われなくなっており、「雲」も「霒」も雨部に分類される。
「霒」に慣れてきたからだろう、やっと本日「侌 古文霒省」が氷解した。「𩃬」から「雨」を取り除いてもなかなか「侌」に行きつかないが、「霒」からなら「今」の下に「云」をもってくれば「侌」という形になる。なるほど。
これならば、「侌」が「雲が日を覆って暗い」と解せるので、「陰」の成り立ちも分かりやすい。私にとってはこれが結構大事な情報で、「陰」では「侌」が音符の形声字とされているが、「イン」という音を表す文字は他にもある中でわざわざこの字を選んでいるとすれば、二つの意味を併せた会意字とも考えられる。
これは「陽」という字もまた、「昜聲」で形声字とされるものの、上と同じように考えて会意とも解せる勇気が湧いてくる。
字のでき方からすれば、少なくとも小里を日当たりで「陰」「陽」に区別していた時期があったことは間違いあるまい。これでやっとこさ腑に落ちた。
私のやり方では、かくの如く、歩みの鈍いことは避けられない。付き合ってもらい感謝している。