餅穴再論
取り上げたことのあるテーマだが、未だに闇の中だ。何年もかけて難問に取り組める喜びがある反面、自分の無能を痛感せざるを得ない。まだ検証の最中なので書くべきか迷っている。しかしまあ試行錯誤こそサイエンスという意味もあるから、現状を披露したい。
これまで「餅」を餅鉄など鉱物と解し、「穴」を採掘ないし精錬の穴と考えてきた。その後専門家を招いて那比の地質を見てもらうと、チャートが殆んどで、鉱物資源に恵まれた土地でないと云う。このもつれた糸をどう解くか。
地元で議論を重ねてきたが、「餅穴」を製鉄などに限定するのは苦しいということになってきた。ここではこれまでの仮説に拘らず、新たな視点を加えられるかに焦点を絞りたい。
スタートラインに戻って「餅」を正面に据えてみると、面谷川が九頭竜川に合流するあたりにあったのは「持穴村」だった。この語源は文字通り「穴を持つ村」と説かれる場合がある。「餅」を「持ち」とも考えられるわけだ。
那比の小字は「焼餅穴」を含めすべて「餅」の字が使われているが、ここで一度切り離してみよう。
郡上市西和良入間(いるま)に「物持ち穴」という所がある。椀貸しの伝説があるという。椀貸しは慶弔事で器が足りない場合など、ある場所で種類と数量を告げておくと、翌朝必ず用意されているというような話である。郡上では洞穴、池、淵、岩上などが現場になっていることが多く、乙姫や竜宮の話につながるものもある。
実際のところなぜ「物持ち穴」と名付けられたのか分からないが、椀貸しに関連するのであれば、竜宮につながる穴から物が出てくるというような話が背後にあるかもしれない。私は椀貸しを木地師との交流譚と解している。「物持ち穴」は器物が出てくる穴で、定着した者たちと渡りの者たちが交流する場所になっていたかもしれない。これを含め、今のところ三つのアプローチ考えている。
1 越前大野の持穴村は古くから銅の採掘、精錬で知られており、技術者が郡上の畑佐や長尾の鉱山などへも大勢入っていた。那比では可能性が低いとしても、板取筋では白谷や小瀬見あたりで金が出たという話が残っており、採掘した穴の解釈はやはり消せない。
2 小谷通(ヲガイツ)の「焼-餅穴」は、その命名から精錬の穴の可能性がある。
3 必ずしも鉱山関係に限らない持穴村からの移動。那比の「餅穴」については有望な鉱山を見つけられなかったが、木地や炭焼きなどで力をつけ、村人と交流した場所かもしれない。又彼らも徐々に定着したのではあるまいか。
この辺りには結構、人の移動に伴う地名の連鎖がある。