地名と姓
ずいぶん前から取り組んでいるテーマである。能力と情報が足りず温める他なかったものだが、今回これを取り上げ、ある程度まとめてみたい。ここでは一般に地名と姓の関連を取り上げるわけではなく、両者を総動員して組み立てるという意味である。
「餅穴」に関連して、西和良の洲河(すごう)へ行ったことがある。その時、たまたま出会った人とけっこう長話した。事情に通じた人だったのだろう、洲河が烏帽子岳山麓の巣河(すごう)と関連する話を聞いたことがあるということだった。それ以前に腹案としてこの両者の関連を考えていたので、何となく記憶に残ったようである。幾つも山川を乗り越えて交流があったわけだ。
その後調べてみると、小那比へ通じる小峠に平家岩があって、落人の話が伝わっているらしい。
それから点を集める作業を開始したものの、容易でない。それでも年数を重ねるうちにぼつぼつ情報が集まってきた。
飛騨川筋にも「数河(すごう)」という大字がある。何回か通過していたのに、字が異なるだけでなかなかアンテナにかからないものだ。意外なルートだったからかもしれない。この地名の由来はまだ調べていない。
気良の口にある立派な寺の住職が代々巣河(すごう)という姓で、気良筋の奥にあたる巣河から出てきたという話を聞いたことがある。この場合は地名と姓が同じで関連しそうである。この寺の由緒を読んでみると、やはり平家の落人が開基したことになっている。
ただ、「すごう」の語源が明らかでない上に地名と姓の関連を整理できておらず、それぞれの繋がりがはっきりしなかった。少しずつ語源を考えるようになって、「すごう」は「す-こう」から「す-かう」も視野に入るようになった。
石徹白に「須甲(すこう)」という旧家がある。何でも景行天皇12年に吉備武彦を案内して賜った号の須甲に因むという。これをこのまま信じるには根拠が薄いが、まるっきり疑いの目でみるのも失礼な話だ。須甲という姓は石徹白のみならず、白鳥の那留にも数軒あるらしい。洲河から津保川を介して上保にも須甲姓の分布が見られることも心強い。私はこれを含め、白尾山や烏帽子岳を中心にして繋いでみたいのである。
木地師の公式な服装は烏帽子直垂姿である。後者の郡上側山麓だけでも、母袋、寒水、気良という木地師の活躍した地区を擁している。
郡上史に登場した時期に違いがあるかもしれないが、須甲-巣河-数河-洲河をこの順に関連すると考えられないか。私は越前の轆轤師に諸派あり、いくつかのルートを介して何派にもわたって来郡し、徐々に定着したと解している。「すごう」はその一派の流れを示しているのではないか。語源についてはいずれまた。