趣味と道楽
どの世代でも心を遊ばせる趣味があれば、ストレスが溜まるのを防ぐことがある。
近頃茶飲み話で、趣味と道楽の違いについて幾つか意見が出てきたので紹介する。
趣味は園芸やら読書などにしてもフットワークが軽いので、ある程度の距離感を保つし、次々対象が変わっても不思議には感じない。凝り性の人なら長く続くとしても、趣味なら、のめり込むことはない。飽きっぽい人なら全く異なった分野に興味が移っても違和感がない。
これは浮世が忙しいこともあろうし、ストレスが溜まりやすい時代なので、根気よく一つのものに拘ることに疲れるからかもしれない。かくの如く趣味は現代人の好みという意味合いを感じる。それなりに時間と金を費やす余裕があれば、軽快でセンスの良いものが好まれる。
これに対し、道楽の語感は少しばかり違う。昔、月収の5%以内ならギャンブルで負けても笑っていられるが、これを超えると段々顔がこわばってくると聞いたことがある。確かにこの辺りが趣味と道楽の境界になりそうだ。
「骨董が趣味です」は「骨董が道楽です」とは重みに違いがある。前者は限界をわきまえているので、真贋を誤り痛みが伴ってもそれほどダメージはないが、後者は高じて懐具合を考えずに高価なもの買うという風である。丸裸になりかねないほどの危険を背負うとなると、趣味ではなく道楽にあたる。
登山の場合、どうしても危険を伴う。単なる山歩きでも、天候が急変すれば安全とは言えない。難しいテーマをもって登山するなら、必ず危険と隣り合わせになる。沢登りやロッククライミングともなれば、緊張状態の連続である。
さてどこで趣味と道楽の線を引くかだが、山についてしっかり学び謙虚な気持ちで取り組めるなら、多少危険があっても安全に登山できそうだ。かくの如き人なら、自分の能力に見合った計画を立てるだろうし、しっかり準備するだろう。
この一線を超えて、冬山など、さらに難しい条件が加わった登山を目ざす人もいる。こうなると、十分安全を担保したとしても危険が伴うことは避けられない。この辺りは、趣味を超えて道楽の域に入っている。更にこれを超えるようになると趣味という言葉は似合わない。身の危険を冒しても、達成したいことがあるのだろう。まさに一直線に困難な道を進んでいる印象があるので、「道-楽」という言葉がぴったり当てはまる。
マラソンはどうか。これもまた体調に合わせてタイムに拘りすぎないなら趣味、限界に挑むようになると道楽あたり。
『禮記』に「敖不可長 欲不可從 志不可滿 樂不可極」(曲禮上)という文がある。鄭玄注は「四者慢遊之道 桀紂所以自禍」だから、「楽」は極めることができないそうな。どちらにしても現状を弁えることが肝要である。