雑文
目を覚ましてしばらくすると鶯の鳴き声。まだ惚れ惚れするほど上手ではないが、落ち着いた気分になる。そう言えば昨日の朝一でも聞こえていたように思う。それから間をおいて聞こえてくるのが烏のがなり声。短い調子だったので、朝の気分がかき乱されるほどではない。
郡上八幡は、4月20、21日(土、日)の二日にわたり春祭り。ワッショイ、ワッショイと賑やかである。笛や太鼓の音が重なると腰が据わらず、そわそわする。
田舎とはいえ我が家は町中にあるので、日吉神社の神楽が回ってくるし、各町内の子供神輿や自前の流しが通る。この町内に篤志家が何人かいて、通る神輿すべてに「祝儀」を渡すので、欠かせないコースになっているのかも知れない。
今年は神輿コンクールがないらしい。子供が少なくなって、神輿を作る町内が次々減っている。仕方がないとはいえ、さびれていく印象は拭えない。
それでも祭りともなれば、絶え間ないと言えば大げさだが、前の通りも裏の小径もしょっちゅう人の話し声が聞こえてくる。子供たちだけでなく彼らの親たちや各自治会の応援があるので、各町内ともかなりの団体になっている。
これに加え観光客がぞろぞろ歩き回っている。上手に遊んで行ってもらいたいものだ。街中の桜はほぼ散ってしまったが、点々と山桜が残っており、確かにまだ楽しめる。これからは桧の花粉も一段落するし、新緑の季節は気持ちが良い。
町がそれなりの賑わいになるのは悪くない。本町や新町で若者達が新たに店を開いている例が増えているようなので、何となく心強い。
頭が千々に乱れて、何を書こうとしていたのか忘れてしまう。このコラムを書くにしても、大体の中身を決めてあれこれ整理するなど、それなりに集中する必要がある。
今回も何かしらテーマを決めて書くつもりだったが、なぜかブツンと糸が切れてしまった。
祭りで精神が高揚するから落ち着かないのではなく、何かしらの音が次々聞こえて、考え事が続かないという風だ。それとも、やはり祭りで心が乱れているのだろうか。
ルーティーンの作業にしても、追い込みにかかっているので、気持ちが急くのに中々やる気が起きない。
細かに検討する場面では、少しでも眠気が来ると休憩しなければならない。こんな時に頑張ると、ろくなことにならない。これまでの経験上、あちこちで破綻してしまうことが分かっている。
こういう時は寝るのが一番。だが今は眠くないから、散歩でもしてくるか。今日は晩飯の用意をしなければならない。途中どこかへ寄って、ちょっとした買い物でもして来よう。今回は思いついたことをただ連ねただけなので、申し訳ないと思っている。