呼吸
今回は落ち着いて「呼吸」について考えてみた。仲の良いコンビは呼吸が合うし、呼吸が止まれば死んでしまう。私は生物学者でもないし医者でもないから、体系として呼吸をまとめる力はない。たまたま涼しいおいしい空気を吸い、生きていることを実感したので書いてみる気になった。
暑いですね。近頃なぜか郡上八幡が日本でも有数の暑い所ということになってきた。これまで実感できていなかっただけで、前からそうだったのかもしれない。日本の暑さランキングに岐阜県勢では多治見がよくランクインしていたが、数年前から八幡もインするようになったというのが私の印象である。
気候がそれほど変わるとも思えないので、何か不思議な気がしている。ご存じのように八幡は山の中にある。盆地というよりもどんぶり鉢の底のような地形なので、夏にしてもそれほど風は吹かない。じりじり熱せられた地面から熱気が上がってくる。
この期に及んでも冷房を好まない。すぐに鼻水が出て、微熱が出るような気がする。だが風の入らない日中は、吐き出す息も暑い。熱中症で年寄りが死亡する例が結構あるので、水分はしっかりとるように心がけている。
「呼吸」という漢字を調べる機会があった。どちらも口偏の字で、「呼」は吐き出す息、「吸」は吸う息である。『説文』ではそれぞれ「呼 外息也 从口 乎聲」(二篇上121)、「吸 内息也 从口 及聲」(二篇下122)となっている。このコラムを読みなれている人なら、「从口」は「從口」で「口に従う」だから口偏、「乎聲」「及聲」はそれぞれ音を表す声符だとお分かりかもしれない。六書のうち、形声文字やら象声文字などと呼ばれる作り方になっている。
ところが、「呼」の「乎」が音のみならず意味にも深みを与えているらしい。別件で「乎 語之餘也 从兮 象聲上越揚之形也」(五篇上193)となっているのを見つけた。形からすれば「兮」に従っており、上の「ノ」にあたる部分が声の上へ揚がっていく姿を象っているという。
どうやらこれが元らしい。「乎」に「声を出す」「息を吐く」の意味があったが、しばしば終辞など助辞として使われるようになり、混乱を避けるため「口」を加えて「呼」という形が出来たという。細かく調べたわけではないが、小篆に「呼」が見られることから戦国時代末期には「呼」という形が出来上がっていたのではあるまいか。あれこれ考えてみると、「呼吸」はもっぱら息を吐いたり吸ったりする義なので、この字形で使われるようになったのはそれほど古くないかもしれない。
意識せずしてウソをつくのは、「息を吐くようにウソをつく」などと例えられる。言葉を発する以上、意図とは別の理解をされることが避けられない。暑いからと言って、足が地につかない話はやめておくか。