箸考

今回は斜めから箸を取り上げてみたい。かつて本邦では、ナイフやフォークはおろかスプーンを使うこともまれで、食事といえば殆ど箸だけで済ましてきた。
箸だけだから、皿やお椀の形が決まってきたと言っても過言ではない。お椀に味噌汁を入れて口元まで運べるようにしたし、肉なら薄く切って皿に並べる。おかずは小皿に銘々盛るので最後の出汁まで飲むことができる。また箸の先が細くなっており、刺したり細かな物をつまめるようになっている。
私にはかすかに家族全員が同じ種類の箸を使いまわしていた記憶もあるにはあるが、少年期からは自分専用の箸があったと思う。
今思えば、敗戦後の混乱でそれぞれ別の箸を用意することが難しかったからかもしれない。或いは家族だから区別するのが水臭く、共用するのが当たり前という価値観があったのだろうか。
マイ箸が使えるようになったのは小学校の高学年くらいだった。大人の長くて大きい箸に何となく憧れていた。
大皿に盛った料理や鍋の時に取り箸が据えてあったかどうか、はっきり思い出せない。
家族だけの時には使った記憶がない。直箸で小皿へ移したり、茶碗に盛った飯の上へ載せて食べた。
当時我が家では、大皿に寿司を盛って食べるということは滅多になかったからか、箸で挟んだまま直接に食べることはなかったと思う。
ところがお客が来て一緒に食事する時には、取り箸があったような気がしている。改まった席になっている印象である。
韓国ではステンレス製の長い箸を連想する。技巧を凝らしたものを見たことがある。多くの場合、今でも個人用の箸はなく、同種の箸を家族全員で使いまわすらしい。これは来客の場合でも同じで、家族と同じ箸を出す。背景に、客を家族のように暖かくもてなす配慮があると云う。取り箸はないと読んだことがある。
中国は広いが、私は何となく先の尖っていない寸胴の丸箸を思い浮かべる。やはり個人用の箸は使われないらしい。一般に子供用に短くしたようなものも無いそうだ。これは大雑把というより、一族の者が同じ箸を使うという連帯感を強調しているような気がする。
今に至っても韓国や中国でマイ箸が使われないのは、それなりの要因が考えられる。
家族や宗族などの結びつきが強く、皆が集まる最も大切な食事時に、同じ箸を使うことで連帯を確かめているのではあるまいか。マイ箸を許せば個人がそれぞれそっぽを向き、繋がりが薄れて寂しく感じるので、同族であることを再確認するため敢えて使いまわす。こんな処にも目線の違いが出ている気がする。

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