バックアップ

普段、私はワードを使っている。文章を打つにしてもエクセルの方が使い勝手がよいという人がいるので多数派なのかどうか知らない。
このコラムを書き始めるはるか以前から、ライフワークにする文章入力を続けている。もう三十年ぐらい立つ。内容に乏しいとしても量だけはかなりのものになっており、これを主にフラッシュメモリーに入れてバックアップしている。今回はこれについて散歩の途中でふとおかしなことが浮かんだので披露してみようと思う。
私は裕福でないと言うより、貧乏という言葉がぴったりである。金目のものは一切身に着けていないし、上から下までごくありふれた服を着ている。
草履で過ごすことが多く、靴は滅多に履かない。この間、私の履いている茶色のスリッパを見て「便所スリッパ」と断じた者がいる。まあこの場合は、水に濡れても大丈夫なので、「水陸両用だからね」と応じておいた。
事程左様に物欲はないわけでないが、望んだとしても手に入るものとて大したことが無いし、むしろこれを抑え込んできた。習い性になったのだろう、持ちなれない金を持ったり、ブランド物を預かったりすると気が気でない。
いつものように散歩に出た時のこと、ポケットの中にフラッシュメモリーが入っていることがふと気になった。今ではメモリー自体はそう高価なものではない。しかし、書き溜めた数十年分の文章が入っている。
こんな物を常に持ち歩くようになったのはここ数年のことで古い事ではない。それまではバックアップすら数か月に一度すればよい方で、長い間ただ打ち続けるだけだった。勘違いして、一月分ぐらいお釈迦になったこともある。
これは内容が不満だらけで、ゴミみたいな物だという潜在意識があったからだと思う。ところがその意識は変わらないにも関わらず、近頃何かの折にすっかり消えてしまうことを恐れるようになった。
価値を見出したというより、歳をとってしまったからのような気がする。どうしても生きてきた人生が姿や振る舞いに出てしまう。恬淡を装って貧乏をやり過ごてきたのに、この期に及んで物に拘り惜しんでしまう。
業が深いとも言えるし、安物の人生だなあと諦める他なさそうだ。しかし物を惜しんで生きていくのはやはり嫌なので、何とか乗り越えたい。
自分が書き溜めてきた文章をすっかり捨て去ることはできない。うまいタイミングでゴールを期待するのもどうだろう。先達の意見を聞いてみたいところだ。
そこで私なりの対策を立ててみた。物を惜しむのは、それが大事だと思うからである。
今を充実させ、少しずつでも前へ進んでいけば今までのことが軽くなる。
全く新しい分野を開拓するのも難しそうなので、もう一歩だけ先へ行くことにした。

髭じいさん

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