充実

壮年期ならまだしも、私には似つかわしくないテーマかもしれない。エアポケットに入ってしまったのだろうか。
歳をとると心のあちこちに穴の開いた状態になる。最早、溌溂とした精神も思うまま動く肉体もここにはない。歯が欠けるように家族や友人が亡くなるにつれ、頼りないだけではなく、親しみや愛情を感じることも少なくなる。またもうそれ程残された時間がないという実感が毎日押し寄せてくる。
自分がその日暮らしを繰り返してきた報いで、老いの準備をせずにここまできてしまった。決して後悔はしてないけれども、なんだか気合が入らない。
仕事にしても日常の生活にしても、十年一日のルーティーンをこなしているだけでは、衰えるのが避けられない。只々懸命に作業を積むのも、何だか時間に追われているようで、楽しく生きている感覚がなかなか生まれてこない。
かくの如く欝々した気持ちでは、美しい景色を見ても心に響かないし、生き生きとした息吹までは感じ取れない。生身で生きている新鮮さや人肌の温もりが感じ取れなくなるのは目が内へしか向かわないからではないか。
近ごろライフワークにしても面白みを感じなくなっていた。わくわくするような好奇心も滅多に感じなくなっていたし、生きている間に何らかの形を得たいというような欲が出て、背中に矢が迫っているように急かされている毎日だった。
誰に強制されてやっているわけでないが、何となく仕方が無いのでやっている感が生まれていた。毎日やっていることが楽しい事だと思えなくなっていたのである。だが私はこれら全てを受け入れ、抗うことはしなかった。
ところが何故か、ここ数日妙に精神のゆとりが生まれている。単なる気の迷いかとも思ったけれども、そうではないらしい。未知へ一歩進もうとした途端、目の前の景色が変わったように感じている。作業の一つ一つがかけがえのないような気がしてきた。
大した内容を持つものではないとしても、身の置き所を一歩進めるだけで、自分が目指してきたものに近づいている気分になっている。充実感が戻ってきたのである。
あれもこれも停滞していたことが原因だ。自分には何ほどかの能力があって、何かを達成するのが当然というような傲りがあったのだろう。
もう一つ課題を済まそうとするだけで 、自分が愚かであることを突き付けられるし、藁をもつかむような気分になる。視点が変われば普段やっていることが全く異質になるようだ。やり始めた時のドキドキ感が戻ってきた。
こんなことだけでもすっかり様相が変わるのだから、如何に泥沼にはまっていたかを痛感する。暫く、落ち着いて生きていけそうだ。

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