駄菓子
別のことを書こうと思っていたが、嬉しいことが起こったので駄菓子についてもう少しスケッチしてみる。
近ごろ都会に駄菓子屋があるのかどうか知らない。下町なら何とか生き残っているのだろうか。何せスーパーに駄菓子コーナーがあるぐらいだから、爺婆が孫の顔を思い浮かべたり、親が子のことを考えたりしながらカゴに入れるのが多くなっているのではなかろうか。子供の立ち回りそうなところには無いというような事情も考えられる。
八幡は田舎町である。閉めてしまった店があるものの、まだあちこちに駄菓子屋が頑張っている。私が行ける所は限られるが、あれこれ思い浮かべると北町(まち)にもあるし、まだまだ楽しめる。
子供たちは塾やお稽古ごとに忙しく、近所の友達と連れ立って外で遊ぶことが少なくなっているようにみえる。学年が上がるにつれゲームをやる時間が削られるので、例え暇があっても、これ幸いスマホなどに首っ引きになる。家を出る子が少なくなるという理屈だ。
暗くなるまで外で遊びまくって、晩御飯ということで親が呼びに来るような図はとんと見なくなった。
子供たちのお小遣い事情は様々なので一口には言えないが、月決めが多いようだ。月初めは結構余裕があるようでも、月末にお金が無くなってあたふたするのは大人と変わらない。
時間があれば、近所の連中と出会えることがあるので、駄菓子屋もお勧めである。
かつて算数の計算ができなくても、お金の勘定ならできるというような子がいたものだ。
ところが浮世は現金払いが減って、カードで決済するご時世である。大人も現金払いが減っている。
親が買い与えてしまうだけでなく、例え駄菓子屋へ行くとしても爺婆や親が同伴することが多くなっているかもしれない。子供が硬貨を握りしめていそいそ駄菓子屋へ行くことが稀になっている気がする。
世が便利になれば全てうまくいくというわけではない。デジタルの時計ばかりを使うので、アナログの時計が読めない子供がいるそうな。
この前買っておいたサッカーくじ付きのラムネを一つ開けてみた。何と日本-ブラジル戦で日本が2-1で勝っていた。これが最高の配当で、十倍の百円になった。今まで引き分けはあったものの、勝ったことはなかった。日本-ブラジル、日本-スペイン、日本-イタリアの三試合が組まれている。どれも引き分けなら十円の当たりで、もう一つもらえる。私の行く駄菓子屋ではこの配当で再度くじ付きのお菓子は買えないことになっており、早速他の物をみつくろってきた。