ちひろ
この歳になっても知らないことが次々出てくる。心を開いていれば分からないことが出てくるのは当然だし、これに取り組むのは結構楽しみだ。ある意味、無知は宝かも知れない。
「ちひろ」と言えば千尋という漢字が思い浮ぶ。両手を広げて指先から指先までを尋(ひろ)と呼ぶ。確か『古事記』の説話に「八尋鰐(やひろわに)」で出てきたように思う。八尋であるから相当の大物である。これが千尋ともなると、最早実際の距離を測るというよりは「かなり遠い」という意味あいが強い。八尋、千尋とも一般に「大きい」や「広い」を表しているようにも見える。
「ちひろ」にはこれとは違う書き方もあるそうだ。「千皓」という表記である。私は全く知らなかったが、ご存じの方も居られるでしょう。
これにはちょっとした経緯がある。よく散歩の途中に寄る知人宅で、「千白告」をどう読むか分かるかという質問があった。一つ一つの文字はそれ程難しいことはないが、この三文字が並ぶのは見慣れない。何らかの判じ物だろうという話になった。
だが彼は実際にこのような名前があると言い張る。相手に確かめた上で、既に公式文書に書き込んだという。こうなると軽い話ではない。
「白」「告」が二字ではなく、「皓」という一文字なら見たことがある。「ひろし」を「浩」と書くことがあるので、旁の「告」が同じだから、「ひろ」について「浩」「皓」が通用する可能性があると考えた。
そこでネットで確認すると、やっぱり「千皓」と二字で表す例があるらしい。これでやっと彼も確信が揺らいできた。
「皓」なら見慣れているとまでは言えないとしても全く知らないわけではない。それとして『説文』にはないが、『玉篇』で「皜」の異体として「皡」「皓」が見える。これらからすれば「皓」は白黒の白が偏で「告」が旁になるが、それほど古い形ではなさそうだ。
『説文』では「晧」(七篇上026)の形で載っている。「晧」は「晧 日出皃」なので「日が出ている様子」である。白日の下で明るいから、「日」の代わりに「白」が使われるようになったらしい。常用されるようになったのは早くとも三国時代以後だろう。
本当のところ、この「明るい」がなぜ「広い」という義で使われるようになったのか知らない。或いは「浩」が「洪水浩浩」など「広い」という意味があるので、音の似ている「晧」「皓」を仮借字として使ったのだろうか。
幾つか漢和辞典を調べてみると、「皓皓」で「白く輝くさま」に加え「広大なさま」という意味がある。となると「浩」の代わりになるから、りっぱな仮字である。
以上、「ちひろ」に「千皓」をあてるのは多少違和感が残るとしても、肯首しうる範囲にある。さっそく彼が公式書類を書き直すことになって一件落着。