イージーミス

これまで数えきれないほどミスをしてきた。振り返って考えてみると、子供の時からこの歳になるまでどんな分野でも、ミスなくやれたことは無かったと思う。
具合が良ければ犯さないものから、例え良くても犯すものまで、テーマにするのも憚れるほど多種多様だ。順調に進むことは滅多にないので、道中むしろ疑心暗鬼になったりする。
少なく見積もっても恐らく一日あたり数十回はすると思う。出かける際に忘れ物をするとか、普段の作業でやるキーの打ち間違いなどを入れたらこんな数では済まない。
様々な原因が考えられて一口ではなかなか言えない。今回はこれをまな板に載せようという野心作である。振り返って幾つかの場合に分けてみた。
一つは自分がぎりぎりの能力でやっている作業やら、それよりやや難しいことをやっている場合。集中してはいても、一杯一杯だから、手探りでやる他ない。視野も広くないし、迷いやら未熟な技術のせいでしょっちゅうミスをする。よくよく考えれば、この場合が多いような気がする。理解が届いていないので、ミスというよりトライアルアンドエラーの方が分かり良いかもしれない。
子供が成長過程にある時には、余りやかましく言わなくとも、日々新たな能力を獲得していく。自ら手にした知識や知恵を使って難題を一つ一つ乗り越えていく喜びは何物にも代えがたい。
この点は成人にしても同じだが、浮世で生きているわけだから、そんなにすっきり上手くいくとは限らない。逆立ちしても、人は今まで培ってきた力以上のものは出てこない。それでも一歩進めたいのであればミスは避けられまい。
何と言うべきか。こういったミスなら大目に見てよいのではあるまいか。子供達なら、むしろ沢山ミスやエラーを積み重ねて大切なものをつかみ取って欲しい気がする。
成人にしても大らかに見ていけば、お互い新たな面を開拓できるので結構楽しい気がするが、どんなものだろう。
もう一つは日常の作業などでやり慣れている場合。慣れているのでミスが少ないかと言うと、決してそんなことはない。慣れれば慣れるほど、実際は最短距離でやっていたり洗練された手順でやっていることが多いので、疲労したり、条件が少し変わるだけで全体にミスが多くなる。大きな怪我につながることがあるので、上手に一息入れるのが肝要である。
最後にテーマとなっているイージーミスはふわふわしている時に犯すもので、ことに私の場合、日々数限りなくやってしまう。原因は注意散漫と言うしかなく、年齢とともに増えているかも知れない。基本は自分を放し飼いにしているが、小さなミスから重大な結果をもたらす事がある。人を傷つけることがないよう戒めてはいる。

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