アスペルガー

日常使う言葉ではなかろうが、ここのところ何回か登場するので書いて見ようと思う。私の周りでも、実際にこれで苦しんでいる人がいるようなので、慎重に言葉を選びたい。
友人と喫茶店で話していた折に、なんでも彼のお孫さんがアスペルガー症候群と診断されたという。彼も私もこれが病名なのかどうか腑に落ちないということになって、なぜか話が私へ及んだ時に、「そう言えば、君も発達障害と言えないこともない」と言う。
何回か彼に私の少年期について話していたので、思い比べたのかも知れない。
私は物心ついたあとでも、左右について確信が持てていなかった。ラジオ体操の時でも、皆と反対の手や足を出していたし、恐らく周りの人も私をそういう子だと認識していたと思う。
鏡文字というのをご存じでしょうか。文字を書いても左右が逆になるやつです。恐らく小学校の低学年では例えば「さ」「ち」、「E」と「∃」などの区別が難しかったように記憶している。
小学校の成績もひどいままで、高学年になりやっと並以下にまで上がったのが嬉しかった。子沢山の世だったから、私の親ですらこの子は馬鹿でどうにもならないと思ったのではなかろうか。
中学生になっても、行進の時に出だしが右左反対になったり、右手右足を同時に出してしまうような子だった。また「右手を挙げて、左手挙げない」というような遊びがとても苦手だった。この辺りまでくれば何とか鏡文字は克服できていたように思うが、英語の「d」「b」なども根が着くまで結構時間がかかったのは後遺症だったかもしれない。
彼にはこれらが発達障害に見えたのだろう。念のために言っておくが、アスペルガーだからと言って必ず成績が悪いというわけではなく、むしろ集中力を発揮して抜群の能力を持つ人も多い。
私の場合は、学業の環境が宜しくない上に、とろい子だったに過ぎない。よく言えば発達遅れ、普通に言えば馬鹿だった。
もう一つ、別の友人とやはり喫茶店で出てきた話。どうやら彼は前々から私のことをアスペルガーと憶測していたらしい。正直な人なので、私を目の前にして思わず口に出てしまったというような様子だった。
彼には私の少年時代について話したことはない。彼は私の斑な性格をみてそう思ったらしい。私に特別な力があるとは思えないが、彼にはある分野でそこそこ能力を持っているように見えるらしい。
平凡ながら、なぜ私がこの歳になるまでやってこれたのかよく分からない。周りにゆったりした人が多く、恵まれていたのかもしれない。

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