この歳になって考えてみれば、どうやら私は意気地のない人間らしい。堂々と生きている人なら、まずは目の前にある事実を全て受け入れ、落ちついて緩急の対応をするだろう。だが私の場合はそうなっていない。

ここのところ幾つか新たに癌に罹ったという話が続いた。たまに喋る五十台の男性は、胃癌で治療を受けていると言って、遠くを見るような表情をするし、また別件で友人の奥さんに肺癌が発見されたと聞く。

加えて、近頃友人が大学病院で検査を受けた結果、腎臓癌と診断されたと言う。まだ若いのでショックだっただろう。まだ初期段階ということで、どのような方針で治療するかはっきりしないそうな。癌の手術は大そうデリケートで、患部だけ切り離す施術では下手をすると癌細胞が拡散してしまう可能性があると云う。医者によると、腎臓は一つでも機能するので、安全策として全摘するほうに傾いている。上司とよく相談した上で治療方針を決めたいと告知したらしい。彼はすぐにでも摘出手術をしてもらいたいと告げたそうだ。私には彼が事実を受け止め的確に判断しているように見えた。

振り返ってみると、私は癌という病気を正面に据えてこなかった。いやむしろ、これを避けてきた気がする。私の父親は早くに亡くなっている。彼の死亡原因は胃潰瘍がひどくなった為という風に知らされてきた。だが心のどこかで、癌だったのではないかと疑っていた。私の世代だと、癌は遺伝するという点が独り歩きして、血族がかなりの確率で罹患することになっていたと思う。医療技術が今ほどでない時期だったので、罹ってしまえば数か月後にはあの世行きという具合に考えていた。にもかかわらず、父親の死因を誰にも確かめてこなかった。知っていても知らなくても、そう変わりがないと考えていた。

遺伝という意味では実際に十数年前、実姉が乳癌をこじらせて死亡している。当時すでに様々な治療法が開発されており、発病して数年は生存していた。

それから更に時間が経ち、すっかり事情が変わった。検査の方法も多様化され、割合簡単に初期段階で見つけられるようになった。早期発見、早期治療で、徐々にではあるが生存期間が延び、昔ほどショックを受けることがないようにみえる。

どんなものであれ、病気はしない方が良い。確かにそうなのだが、人である以上避けて通れまい。私はここまで幸運にも、大病を患うことなくやってこれた。もはや余生を生きていると言っても過言でない。やっとこの期に及んで癌と向き合う気が起きたので、長年の宿題を一つ減らすことになった。                                               髭じいさん

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