雪かき雑感

明けましておめでとうございます。途切れそうになった騒動を乗り越え、何とか首がつながったのが去年。続けていける喜びやら、苦しみやらが去来する。本年も又宜しくお願い致します。

年末から降り始めた雪が元日、二日と続き、やむを得ず雪かきをやった。関や美濃市辺りでも降ったようで、倒木の映像が流れていた。どれほど降ったのか分からないが、この辺りより多いと思えないので原因はいろいろ考えられる。

この歳までくると、あれやこれや色々ある。私は生まれも育ちも關西であるし、少しは京都で経験したが、ちらちらする雪は風情があるなあという程度だった。かつて年末に降った大雪を思い浮かべている。昭和五十六年(1981年)の豪雪だ。これで私の人生観が変わったと言ってもよい。その前年だかに大水で椎茸の原木を流されるなど、痛い目に遭っていた。心当たりある人も減ってきたのでちょっとばかり披露してみる。

大晦日から降り始め、正月の間ずっと降り続いた。当時私は盆正月に欠かさず本貫地へ里帰りをしていた。相当降ったようで、向こうでも美濃、飛騨地区の大雪情報が流れていたほどである。思った通り、こちらへ帰ってくるのが大変だった。岐阜まで着いて、バスが遅れに遅れて八幡までたどり着くのも一苦労だった。八幡に着いた翌朝、周りを見ると別世界だった。当時私は四階だったか五階建てのアパートに住んでいたので、一軒家に住んでいる人たちの苦労を実感できなかった。高鷲や明宝ならいざ知らず、八幡では滅多に屋根の雪下ろしはしない。ところが、あの時はどこも屋根から雪を下ろしていた。狭い通りに落とすものだから、自転車やバイクのみならず車の行き来も大変なぐらいだった。

私は当時バイクで通勤しており、凸凹の道をゆっくり走っていた。夜中になると路面の凍結にも悩まされていた。苦労して仕事場へ着いて誰も来ておらず、情けない思いをして帰宅したこともある。当時の雪かきは仕事場の前の道を開けるだけだったが、カンカンに凍っているので容易でなかった。力づくでこなしていたものである。

今年の雪はこれまで40センチ-50センチ程なのでしんどいと言っても、まあまあ知れた量である。ところが三が日の間、それほど長い時間やったわけでもないのに腰がだるい。まだ仕事場の雪かきをやっていない。やり始めてしまえばまだ体が動くけれども、何となく気が重い。

雪を被った山や川は美しい。見慣れた景色とは異なり、脳裏に焼き付けておきたい気分だが、何となく消えて行くのが山家に住む者の常である。                                               髭じいさん

前の記事

左利きの「矯正」

次の記事