教職を目指す君へ

偉そうに、ただただ年老いた私が高邁な理想を持つ若者へ意見を言うなどおこがましい。少しばかり耳を傾けてもらえれば幸いである。

かつて孟子は誇りうる仕事として王、将軍と共に教師を挙げていた。いかにも中国らしく、壮大な考え方だ。王は国家を主導し、将軍は軍事を掌る。いずれも国家の運営には欠かせない。孟子はこれらをあくまで職種と考えているところが新しい。人は強固な国家の下でしか安定した生活ができないことを前提している。

この枢要な職に教師を加えているのは、王や將軍を育てるのみならず、彼らを支える人材が必要だからである。従って、彼の言う教師は士大夫などすでに地位を得ている者の子弟を教育し、国家を担う人材を育成することを念頭に置いている。これはこれで長きにわたり、大きな影響力をもっていた。

本邦においては、明治維新を経て学校教育が始まり、原則として全ての子供を教育することになった。だが天皇を中心とする国家だったから、戦前までこれにに類した考え方で教育が行われたと言ってよかろう。国家の安寧が第一、個人の幸福はその次というわけである。

敗戦後、この考え方がすっかり変わり所謂「民主教育」が行われるようになった。原則として個人はまず自分の幸福を第一に考え、国家がそれを支える側に回ることになった。

教育も個人を中心にし過ぎれば反動が来る。人は決して一人で生きていけない。国家としても自らの存立を確かにするため、公共の福祉を前面に出して、国民に忠誠を求める。そして国家に有用な人物を得ようとして、教育の現場へ介入を試みる。どこまでも国家と個人が対立する構図は変わらない。ただし、行ったり来たりするのであればこれも決して悪いわけではない。

子供の教育に関して言えば、親であれ教師であれ、彼らを守り育てることが第一。じっくり力をつけて一人前になるよう手伝うのが本分である。小市民の私が大上段に振りかぶって言うのも気が引けるが、一人前とは、たとえ一人になっても結構楽しくやっていける人と考えてみてはどうか。決して知識を詰め込むことだけが大事なのではあるまい。単なる知識は、事にあたって邪魔になることも多い。ピンチが来ても、大声を出して何とかなるわけではないから、まずはゆったりコーヒーでも飲みながらあれこれ対応策を考える。落ちついて粘り強く考え、決まれば断行する。かくのごとき人に育つとしたら本望ではないか。彼らの肥やしになれるよう、自ら熟してほしい。                                               髭じいさん

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