イカの話

イカは漢字で「烏賊」と書く。ご存じの方も多いでしょう。ところがどうしてこんな用語をするのか考えたことのある人は稀でなかろうか。私もまたこの歳になるまで意識したことはない。こんなことでもちゃんと整理しないと記憶に残らない。

これまで「烏賊」の「烏」は、「イカがいつも水面に浮かんでいて、死んでいると勘違いした烏がついばもうとすると、卷きついて烏を餌食にする」、また「賊」は「イカが烏にとって賊のようなもの」という中国の言い伝えを由来とする説が人口に膾炙する。なかなか面白いが、俄かには信じられない。

私は平生、『説文解字』という古い辞書の研究に取り組んでいる。長いこと携わっているが、何の成果も得られていないので偉そうに人前で言うことも憚られる。としても、無能だからこそ日々発見があり、飽きることはない。

今日も今日とておさらいしていると、「鰂 烏鰂魚也 从魚 則聲 鯽 鰂或从卽」(十一篇下172)という解があった。「鰂」はまあ「イカ」とみてよかろう。慌てずに字の形から見ると、『説文』では「鰂」が本字で「鯽」が異体となっている。『玉篇』『集韻』などから、「鱡」もまた「鰂」「鯽」と異体である。同じ魚偏で、音を表す「側」「卽」「賊」が同系の音だから仮借というやつである。

『説文』の「烏鰂魚」についてみると、他に「鰞鰂」(『玉篇』)、「烏鱡魚」(『廣韻』)、「烏賊」(『一切經音義』)などと記される。「鰞」の声符にも「烏」がおり、関りが深いようである。

なぜ「烏」という字を使うのかについては二通り考えられる。一つは、イカの腹中にある墨が黒いので「烏(からす)」をあてたと解する。どうやら段氏玉裁はこれに依っているように見える。もう一つは「烏」が発音上不可欠とする。「越」というのは「呉越同舟」で使われる国名であったり種であったりする語だが、しばしば「於越」「烏越」などと書かれることがある。かくの如く、実際の音に近くするため「烏(ヰ、ヱ)」を加えていると解するのだ。私はこちらに魅力を感じている。残念ながら、いずれにしても実際の烏には関係がない。

「賊」については「鰂」「鯽」「鱡」が異体字であることに関連しそうだ。それぞれ殆ど同音で「ソク」と読み、全てイカの義と解してよい。どれを使うかは時代や地方によって異なるだろう。中でも、言い伝えから連想しやすい「鱡」が多く使われるようになったのではあるまいか。ここまでくると結論はそう遠くない。「鱡」の字は画数が多く煩瑣である。字画の多い文字は省いて書かれることが珍しくない。魚偏を取ってしまえば「賊」となる。かくして、イカが「烏賊」と書かれるようになったと考えてみた。

「イカ」の語源については案がないが、「いか-めしい」を本線にして、「烏賊(ヰソク」も候補に入れている。                                               髭じいさん

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