居眠り

不覚でなく、老いたからかもしれない。ここで言う居眠りというのは、散歩の途中で立ち寄ったところで睡魔に襲われ気持ちよく寝てしまったことをさす。他の席に座っていれば、相当疲れていても強い眠気に襲われることはまずない。ところがその椅子に座れば、少しばかり話しているだけで眠くなってしまう。もはや条件反射になりかけている。振り返ってみれば、居眠りと言うのは子供のころから今に至るまで数限りなくやってきているのに、それほど思い浮かばない。

高校の頃だと思う。夜更かししたあくる日、早弁してお腹も満たされ体もそれなりに温まった授業中、前列に座っていたのにすっかり寝てしまったことを思い出す。学生時代はこの他にも、とりわけ五時間目の古典だとかの授業でよく居眠りしていたように思う。

郡上に来たばかりの青年時代、私は少しばかり山仕事をしていた。楽しいこともあったし、つらいこともあった。一番の楽しみは休憩や昼飯だった。弁当を食べた後ちょっとした話をして皆自然と横になる。あっという間に襲ってくる眠気を思い起こす。三十分ほどして起きれば、頭も体もリフレッシュして気持ちよく午後の仕事にかかれる。

そうそう壮年時代に仕事でインドネシアに居た頃、週末に行きつけの布地屋へ行っては裏庭でスケッチを書き、椅子に座ったまま寝ていたことを思い出した。

近頃は仕事場で寝る。この歳になっても、まだ仕事をしている。悠々自適に暮らし、趣味などで満足感のある人から見れば愚かに見えるかも知れない。大それた夢があるわけでも奔放にやりたいわけでもないので、今自分ができる事を地味にやりながら生きている。かくのごとく毎日、自転車に乗って早めに仕事場へ行く。昔ほどあれやこれや気にかかることもないので、軽く掃除をした後、やおらストーブの前やエアコンの傍で横になる。しばらくぼんやりしていると眠気が襲ってくる。二三十分ぐらいして目が覚めれば、やっぱりすっきりしている。

車を運転している際の居眠りは自殺行為である。幸い私は運転しないのでこんなことにはならない。バイクや自転車に乗って居眠りすることはない。現役の人は仕事が重なってしんどいこともあるだろうし、寝られない夜を過ごすこともあろう。両肩に責任を負っているわけだから、前夜の深酒はもちろん、深夜のスポーツ観戦などに深入りは禁物である。運転する前に十分な休息をとり、フレッシュな状態で安全運転してもらいたい。

友人宅で寝てしまった件については、私の思いとは異なり、実際はこれまでも結構寝ていたそうだ。気持ちよさそうな寝息をたてているので、他の客とひそひそ話すという。そんな事とはつゆ知らず、気楽なものだ。                                              髭じいさん

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