事故

浮世で事故はつきものだ。無いに越したことはないが、避けて通ることは至難である。事故の定義は後で少しばかり考えるとして、まず頭に浮かぶのは交通事故である。私は車に乗らない。といっても同乗することがあるので、自動車でも起こる可能性はある。幸いこれまで、弥次喜多をして右往左往することがあっても、車で痛い目に遭うことはなかった。

かような訳で、私の場合はバイクや自転車、又は歩行者としての事故ということになる。振り返ってみれば大事に至らなかったものの、それぞれを経験している。実を言うと先週自転車で転んでしまい、まだあちこちに傷がある。長年自転車を乗ってきたので、派手に転んだことにショックを受けている。今まで何度か転んだことはあるが、こんなに傷を負うことはなかった。

手に提げていた傘の上の方がひどく壊れていたので、これが前輪に挟まったらしい。スピードが出ていたし、雨降りの後で路面が滑り易かったことも相まって派手に落ちてしまった。自転車の横に落ちて、路面を擦ったらしい。

頭も肋骨も大丈夫で、少し顔面左上の頬骨を打ったのを除けば、どこもきつい打撲はない。夜更けのことで車の往来もなく、自損の事故ですんだのは運がよかった。ただ顔では左頬の上を擦っており、右手のつけ根のところにも痕がある。何故か知らねど綿パンは無事なのに、右足の太ももと左下肢の後ろ側をやっぱり擦っている。後で考えても、何故かすっきりした解がない。これらは皆小さな傷なので心配無用だが、風呂に入った時にあちこち刺激があって痛んだし、まだひりひりするところはある。今回はこの程度で済んだからよいものの、先のことが不安になる。バイクだとこんなものでは済まないだろう。まだ暫く使いたいので身が引き締まる思いである。

今回は孫と二人で走っていた時の事故ということで、彼を驚かしてしまった。後で聞くと、電話で連絡があったらしく、ずい分心配してくれたようだ。毎回、私の方が「気をつけて行くんだよ」と言ってきたのに、立場が逆になってしまった。嬉しいやら恥ずかしいやら。歳をとるというのは、こういうことなのか。すっかり心配される立場になってしまった。

ふと「事故」という言葉が気になってしまう。現代ではアクシデントと理解されることが多いが、どうも腑に落ちない。「故事」なら「いにしえの事、昔あった事」でよかろうが、「事故」となると「こと故(ゆゑ)」「こと故に」という辺りしか思い浮かばない。人が意思をもって事を起こすからではなく、物事の成り行きで不幸なことが起ったという意味なのだろうか。だとしてもこの用語だけで「アクシデント」を想定できない。となると、名詞としてこのような意味で使われるようになったのは近代になってからなのかな。                                               髭じいさん

前の記事

ピアノ

次の記事

居眠り