経年劣化

経年劣化(けいねんれっか)は時に耳にする語だ。「年を経るにつれて劣化する」あたりでよかろう。まず私自身が歳をとって劣化していることが思い浮かぶ。体力は減退してもさらに高みを目指す同輩がいるので、私だけの話にしておく。

我が家は築百五十年ほどたっており私より更に古い。殆んどすべてが劣化しているので、あちこち補強したり、水回りをリホームしたりして何とか暮らせている。こころしばらくトイレのタンクの調子が悪かった。手洗い管から水が出ない。一応タンクに水が溜まるので使えることは使えるが、流れる水が少ない気がする。さっそく業者に頼み診断してもらったところ、何でも「ボールタップ」の一部が故障しているという。珍しいことではないが、部品の在庫がなので二三日待ってほしいとのこと。そのまま使えるということで一安心。その後、割合簡単に治ったのでほっとした。水道業者が来たついでに風呂について相談したところ、着替え場の暖房については床を張り替えて暖房器具をおき、浴槽横に手すりをつけてもらうことになった。台所の水道周りにも黴が出て、これを綺麗にするのが大変である。ことほど左様に水回りの劣化が目立つ。

そういえば、ガス検知器を取り換えたばかりである。風呂及び台所のガス器具もそうとう古くなって、換え時が近づいている。

これらはありふれた日常の一コマだが、生活するのに水やら火は欠かせない。どの時代もこれらを安定して手に入れることが愁眉の急だった。いくらか振り返ってみよう。生き物に水は欠かせない。動物は水を求めて移動し、水がある所に集まる。人も同じで、清潔で安全な水が不可欠である。毎日使うものだから、水を得るために労力を惜しむ余裕はなく、はるばる遠くまで汲みに行く。良い泉があれば争って定着しようとした。定着して農業をするにも安定した水が要る。人が増え、文明が複雑になればなるほど水を使う。これを利用するための器具もまた使用頻度が高くなる。器具が使いつぶされていくのも成り行きだ。

火は動物と人を分ける境界にある。人類は火を上手に使えるようになって、暖を取り獣を避けられるだけでなく、食料に熱を加えられるようになった。肉などを焼いたり、炙ったりできるようになったわけだ。更に土器がつくられ、煮たり、蒸したりできるようになった。

更に視点を広げてみると、雨や風ということになる。自然の観点から経年劣化を見れば、風化ということになりそうだ。大規模な土砂崩れなど水には直接地形を変えていく力があるとしても、普段なら雨風が長い時間をかけて削るという感じかな。但し自然は巡りめぐって若さを回復できる。

派手なことはできないので、だましだまし家の面倒を見て行くほかあるまい。                                              髭じいさん

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