石鹸かたかた

「散歩の途中でよく立ち寄る友人宅で」と言えばこの間も使ったセリフだが、今週も知り合いの方から伝言があった。近頃顔を見ないので、少しばかり突然の連絡のような感じになって興味が沸いた。

本人が自分の事を「中年の随筆家」と書いているので、まあ落ち着いたお母さん世代とだけ言っておこう。言葉の切れ味がめっぽう凄く、もたもたしているとバッサリやられてしまう。そんな彼女から「石鹸かたかたが無くなるかも知れません」という伝言で、あるサイトを紹介してくれた。

「神田川」という歌を御存じでしょうか。それまでに流行っていたのは間違いなかろうが、私の心に染み込んできたのは奈良に居た時で、ラジオから流れてきた。なぜか周りに知り合いはいなかった。当時、詩や歌に疎くても、好きな歌はあるにはあった。歌詞に同感したり、何となく若い娘の恋心に憧れたりもした。が、私はそれまで歌を聴いて感動するということは殆んどなかった。

「一緒に出ようね」と言っていたのに、娘さんが先に銭湯を出てしまう。彼を待つ間に髪の芯まで冷えて、小さな身震いをしたのだろう。風呂桶に入っているらしい石鹸入れがかたかた鳴ったというような歌詞だった。この「石鹸がかたかた鳴った」というところで私のセンサーが働いた。その音が実際に聞こえてくるように感じたのである。この歌には他にも印象に残るフレーズがあるのに、私はこの場所でやっと情景を実感できた。

この間、何人かが集まり流行り歌の話になった際、私としてはこの話をしたかったのに曲名を思い出せなかった。仕方なく「石鹸かたかた」の歌というような説明をした。彼女はこのことを覚えていてくれたのだろう。そこで何かの検索で出会ったこの情報を私に連絡をしてくれたらしい。つまりは私の他にも「石鹸かたかた」というフレーズで「神田川」を思い出せる人がいるということだ。

教えられたサイトを開いてみると、「ある会社が濡れたままの石鹸を運ぶためのケースを米企業と共に作った。カバンに入れたままでも水漏れせず、翌朝には乾く」という触れ込みで売り出すそうだ。無論音の出ない素材ということである。同社の広報担当者は「名曲神田川の小さな石鹸がカタカタ鳴る世界ではなくなるけれど、便利です」と自信をみせている。

四五十年前には銭湯が各地区にあり、この歌には説得力があった。私が京都で通っていたのは二か所あって、一つは東山丸太町の交差点から少し東へ行ったところ、もう一つは寮から西南で、金があってビールが飲める時に行った。さまざまなエピソードを思い出す。今も頑張っているのだろうか。確かにこの商品が広がるとすれば、実感の持てない世代が更に増えそうだ。                                               髭じいさん

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